オホーツク文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/04 01:38 UTC 版)
オホーツク人の遺伝子
2009年、北海道のオホーツク文化遺跡で発見された人骨が、現在では樺太北部やシベリアのアムール川河口一帯に住むニブフ族に最も近く、またアムール川下流域に住むウリチ、さらに現在カムチャツカ半島に暮らすイテリメン族、コリヤーク族とも祖先を共有することがDNA調査でわかった[7][8]。
近年の研究で、オホーツク人がアイヌ民族と共通性があるとの研究結果も出ている。オホーツク人のなかには縄文人には無いがアイヌが持つ遺伝子のタイプであるmtDNAハプログループY遺伝子が確認され、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性も判明した [9]。アイヌ民族は縄文人や和人にはないハプログループY遺伝子を20%の比率で持っていることが過去の調査で判明していたが、これまで関連が不明だった。
文献史料
日本書紀には、7世紀に阿倍比羅夫が遠征の航海の途上、大河の河口で蝦夷と粛慎の交戦を知り、幣賄弁島(へろべのしま、樺太[10]や奥尻島ではないかと言う説がある)で粛慎と戦ったと記されている。その大河を石狩川とし、粛慎をオホーツク人とする説はあるが、確証はない。
『通典』 『唐会要』、『資治通鑑』、『新唐書』など中国唐時代の記録には、2代皇帝・太宗の貞観14年(640年)、北方の流鬼国より朝貢使節団が来朝したとの記述がある。この流鬼国は、オホーツク文化人を指すのではないかという説がある。
主な遺跡
脚注
注釈
- ^ 鳥の管状の骨に刻まれた捕鯨図には7~8人乗りの船が描かれている。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k 謎の北方海洋民族の生活いきいき アイヌ文化に大きな影響 - 日本経済新聞
- ^ オホーツクミュージアムえさし(枝幸町) - 朝日新聞
- ^ 前田潮「オホーツクの考古学」 同成社(2002.7) P194
- ^ 菊池俊彦「オホーツクの古代史」平凡社(2009.10)
- ^ オホーツク人のDNA解読に成功ー北大研究グループー 北海道新聞2012年6月18日朝刊
- ^ 「消えた北方民族の謎追う 古代「オホーツク人」」北大が調査 朝日新聞2009年2月4日[リンク切れ]
- ^ 「消えた北方民族の謎追う 古代「オホーツク人」」北大が調査朝日新聞2009年2月4日[1]
- ^ オホーツク人のDNA解読に成功ー北大研究グループー - 北海道新聞2012年6月18日朝刊
- ^ 消えた北方民族の謎追う 古代「オホーツク人」」北大が調査 - 朝日新聞2009年2月4日
- ^ 西鶴定嘉 「樺太の栞」
- 1 オホーツク文化とは
- 2 オホーツク文化の概要
- 3 オホーツク人の遺伝子
- 4 参考文献
オホーツク文化と同じ種類の言葉
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