OASYSの発展と衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:26 UTC 版)
「親指シフト」の記事における「OASYSの発展と衰退」の解説
当初、日本語ワープロは非常に高価な製品であった。初の日本語ワープロである東芝JW-10の価格は630万円であった。その後を追って1980年に発売されたOASYS100の価格は270万円であった。いずれにせよこの価格では企業の専門のオペレータが使う製品という位置付けにならざるを得なかった。そのような専門のオペレータだけがワープロを使っていた時代には、親指シフト規格による高い生産性が市場の支持を受けてOASYSはシェアを拡大し、後発にもかかわらずビジネスワープロのトップブランドの地位を確立した。 しかしOASYSの開発者たちは、そのような立場に満足してはいなかった。専門のオペレータが使用するのならば、漢字タブレット入力方式や漢字直接入力方式の方が優れている。かな漢字変換というわかりやすい方式を採用し、業界標準に逆らってまでそのためのキーボードをわざわざ開発したのは、日本語の文章を書く人すべてにとって必要となる、日本語のためのタイプライタを目指していたからである。「電卓戦争の再現」とも言われたほどの苛烈な技術革新と価格破壊を彼らが積極的に続けたのは、他社との競争に勝つためというよりも、むしろパーソナルユースに売り込むことを目指していたためであった。「いずれ1000万台売れる商品になる」というのが神田の口癖であった。 そのため、パーソナルユースを睨んだ機種として、1982年には100万円を切ったMy OASYS(75万円)を、1984年にはOASYS Lite(22万円)を投入し、家庭用ワープロの先鞭を切った。業務用の100シリーズでは公的規格であるJISキーボードを無視できず1号機から一貫してJISキーボード仕様を用意していたが、家庭用OASYSでは、親指シフト規格の普及を狙って、JISキーボード仕様を用意せず親指シフト規格仕様のみにするという戦略に出た。 1980年代半ばには、10万円を切る価格帯のパーソナルワープロも登場し、OASYSの開発者たちが夢見ていた家電製品として普及する時代となった。すると市場は、彼らにとって皮肉な反応を見せ始めた。当時、家電製品としてワープロを購入するユーザーの使用目的は「年に一度の年賀状の作成」か「一度作って保存した文章の使いまわし」にあり、効率よく快適な文章の創作を日常的に行いたいという需要などなかったのである。そのため、以下のような理由から、市場は親指シフト規格に冷淡な反応を示し始めた。 当初は他社からは親指シフト規格の製品が発売されなかった。 後には他社からも発売されるようになったが、それほど多くなかった。そのため富士通の独自規格という印象があり、将来性に不安を持たれた 当時は複数のキー配列を覚えるという発想が一般的でなく、「親指シフト規格を覚えると他社のワープロが使えなくなる」という誤解があった。親指シフト規格の支持者がよく行なった「他の配列が打てなくなる」との発言がこの誤解に拍車をかけた。発言は実際には「一度でも最高のお茶を飲んだら、他のお茶が飲めなくなる」と同様のレトリックにすぎず、#快適さにて前述したとおりに使い分けは可能なのだが、親指シフト規格を知らない者には文字通りに解釈され、誤解を生んだ。 当時のワープロはもっぱら「清書機」として利用されていて、神田が想定していた「文章の創作」に対する要求が薄かった。多くの人が電子メールやブログ・電子掲示板・ウェブページの記述をするといった『作家などではない個人でも文章の創作を必要とする時代』が来るのは、これよりだいぶ後、21世紀(2000年代)に入ってからである。 当時から存在しているかな入力と比べて、見た目での文字探しが困難であった。ゆえに「たまにしか使わない」ユーザーにとってはかえって不便そうに見えた。 1986年頃からは家庭用OASYSでもJISキーボード仕様が用意されるようになった。それでもカタログの写真には親指シフト規格仕様を使うなど、富士通は「親指シフト規格仕様が基本。JISキーボード仕様も一応用意しています」という姿勢を崩さなかったが、後期には実際の出荷はJISキーボード仕様が主体になっていった。 シリーズ別に見る出荷形態の変遷業務用(100シリーズ)家庭用(30/Liteシリーズ他)戦略1号機から一貫して親指シフト規格・JIS配列を用意50音配列、新JIS配列を用意した時期もある 初期には親指シフト規格のみ、後にJIS配列を追加 初期親指シフト規格が主体 親指シフト規格のみ(ただし、50音順ゴムカバー同梱機もあった) 中期親指シフト規格が主体 親指シフト規格が主体 後期親指シフト規格が主体 JIS配列が主体 1990年代に入ると、パソコンの価格低下と性能向上が目立つようになり、ワープロ専用機の市場シェアが低下した。日本のパソコン市場ではNECのPC-9801が大きなシェアを持ち、親指シフトキーボードは未対応であった。OASYSの親指シフトユーザーは、ソフトウェアエミュレータの「親指ぴゅん」や、アスキーから発売されていたPC-9801用親指シフトキーボード「ASKeyboard」を利用した。1996年になるとリュウドがOASYS300シリーズのキー金型を使用するなどして製造した高品質のNICOLA配列キーボード「RBoard PRO for PC」や「RBoard PRO for Mac」「RBoard PRO for 9801」も発売された。 ワープロ専用機としてのOASYSシリーズの開発は1995年に終了し、その"遺伝子"はWindows用ワープロソフトのOASYS 2002と、Windows用IMEのJapanistに引き継がれた。
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