ペリセル
分子式: | C19H12Na2O8 |
その他の名称: | ペリセル、フラボダートジナトリウム、Intercyton、ジナトリウムフラボダート、Pericel、Disodium flavodate、Flavodate disodium、インテルシトン、2,2'-[(4-Oxo-2-phenyl-4H-1-benzopyran-5,7-diyl)bis(oxy)]bis(acetic acid sodium) salt、[(4-Oxo-2-phenyl-4H-1-benzopyran-5,7-diyl)bis(oxy)]diacetic acid disodium salt、FM-7 |
体系名: | [(2-フェニル-4-オキソ-4H-1-ベンゾピラン-5,7-ジイル)ビス(オキシ)]ビス[酢酸ナトリウム]、2,2'-[(4-オキソ-2-フェニル-4H-1-ベンゾピラン-5,7-ジイル)ビス(オキシ)]ビス(酢酸ナトリウム)、[(4-オキソ-2-フェニル-4H-1-ベンゾピラン-5,7-ジイル)ビス(オキシ)]二酢酸ジナトリウム |
FM-7
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/02 00:02 UTC 版)
FM-7(エフ・エム・セブン)は富士通が発売した8ビットパソコンであり、正式名称はFUJITSU MICRO 7。富士通はこのFM-7のヒットにより、シャープ、NECと共にパソコン御三家と呼ばれる様になる。
注釈
- ^ 回路はほぼ同じだがFM-8用と形状が異なり互換性はない。
- ^ 同時にZ80エミュレーション版も同時に掲載されており、速度は遅いものの、Z80カードなしでもSWORDは実行可能になっている。
- ^ 発売当初は5.25インチのみ。後に3.5インチも発売される。
- ^ 200ラインのグラフィック画面で10ラインと、8ライン単位のスクロールを実現するため、公約数の2ラインごとのオフセット表示が実装されている。
- ^ 多くのアクションゲームではキーの押下時にその方向へ直進し、キーを離す代わりに主にテンキーの5等、別のキーを押下させることでキーの開放の代わりとして停止するなど特徴的な実装がなされ、シューティングゲームなど同じキーに対して連続したキー入力が必要な機能にはBREAKキーを割り当てる形になっていた。
- ^ 正式名称はTESTコマンド。FM-8では、コマンド$3Fに続き、サブシステムの開発者の名前であるYAMAUCHIの8文字を渡す必要があったため、通称YAMAUCHIコマンドと呼ばれる。FM-7以降は任意の8文字を渡すことで実行できることから、その場所を8バイトのワークとして使うことも可能だった。
- ^ 同世代の他機種の様に独立したテキストVRAMという概念はなく、サブCPU側にテキスト・アトリビュート領域として用意された約4KBの「コンソールバッファ」がそれに相当する。
- ^ BREAKキーのみメインCPUに対してハードウェア割り込みを発生したり、メインCPU側の専用I/Oで押下/解放の判定が可能になっているが、キーボードはメインシステム/サブシステムに対して文字コードしか送信しないため、それ以外のキーは開放されたことを検出する手段が無い。nキーロールオーバー、キーリピートに対応している。
- ^ システムROMの裏側に隠れているため同様の仕組みは他の機種も含め「裏RAM」という俗称で呼ばれていた。
- ^ それを可能にするための改造は当時非常にポピュラーなFM-8のハードウェア改造の一つであった。
- ^ FM-8では主にジョイスティックの接続に用いられた。
- ^ たとえば「"」を入力する場合、FM-8では「2」キーよりも先にShiftキーを離すと、数字の「2」を続いて入力したとみなされ、「"2」がサブシステムへ渡されたが、FM-7ではShiftキーを先に離しても「"」のみが入力されるようになった。
- ^ グラフィックス画面にフォントを直接描画。
- ^ ただし必要となるのは拡張RAMカードであり、400ラインカードはなくても起動時に警告は出るものの動作する。
- ^ キーを押した時にMakeコード、キーを離した時にBreakコードが発行される機能が新設された。従って、基本的にはFM77AVシリーズ専用として新たに作られたソフトウェアでなければメリットは享受できない。
- ^ 初代FM77AVのみ。FM77AV20/AV40以降はDOSモードでも同様にF-BASIC V3.0が起動する。
- ^ AV20/40/20EX/40EX/40SXではメモリマッピングレジスタなども追加。
- ^ 初代FM77AVのみ。FM77AV20/AV40以降は任意のドライブから起動可能な新たなブート機構をRAMに展開し、そこに制御を移している。
- ^ VRAMのバンク切り替えやMMRやダイレクトアクセスやキーボードエンコーダの新機能など。
- ^ 実際にはMMRの有効/無効に関わらずメモリアクセスがノーウェイトで行われる。
- ^ 基板上のジャンパピンをはずすことによって有効になる。
出典
- ^ 「富士通、パソコン3機種を開発―1月から月産計3万台、半導体の社内販売急増へ」『日経産業新聞』 1982年11月9日、4面。
- ^ a b 小林紀興『富士通の大逆襲計画』講談社、1987年、95頁。ISBN 4061928074。
- ^ a b ASCII 1983年1月号, p. 82.
- ^ ASCII 1983年1月号, p. 83.
- ^ 『年鑑広告キャンペーン 1983』222-223頁。NDLJP:12022603/114
- ^ フジツウ・エスパーニャ (FESA) 同窓会
- ^ Fujitsu / Secoinsa FM-7
- ^ Fujitsu FM-7 (Fujitsu Micro 7)
- ^ a b 富士通 FM-7 ユーザーズマニュアル システム解説書
- ^ ASCII 1983年7月号, p. 160.
- ^ a b c ASCII 1983年7月号, p. 161.
- ^ 受賞番号:59K1044(受賞対象:FM-77D2(MB-25250))
- ^ FM77 | クラシックPC研究会
- ^ 『コンピュートピア』1989年5月号、16頁。NDLJP:3250143/9 - 原文では「FM77シリーズ」表記だが、昭和60年に販売とある。
FM-7
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 07:04 UTC 版)
FM-7は1982年11月8日、FM-8の廉価版後継機種として発売された。開発時の名称はFM-8Jr.(ジュニア)。FM-8と一定の互換性があり、アプリケーション、OS(CP/M、FLEX、UCSD Pascal、OS-9)、開発言語、ツール、周辺機器の資産継承が考慮されていた。FM-8を含んで、FM-7/8シリーズと呼ばれ、CPUの高速化等、実質的にはFM-8の性能が向上した後継機にあたる。 モトローラ社のMPU 68B09をメインCPUとグラフィックを独立制御するディスプレイサブシステムへそれぞれ搭載する2CPUのアーキテクチャを採用。FM-8と同様にオプションのZ80カードが搭載可能になっており、CP/Mや、Oh!Xで使われたS-OS"SWORD"など、Z80CPUベースのシステムを動作させることも可能になっている。このZ80カード用スロットは後にユーザベースで63C09を搭載するのにも使われた。F-BASIC V3.0がROMに搭載されている。漢字ROMカード、フロッピーディスクドライブはオプション。 発売当初のイメージキャラクターはタモリ。キャッチコピーは「青少年は興奮する」。 競合機種と同等のカラー表示にPSGがつき価格が安かったことから、FM-7は一定の普及をみて、富士通をパソコン御三家の地位にまで押し上げた。FM-7に端を発する低価格・高性能という路線はPCユーザ拡大に貢献し、'80年代パソコンブームの原動力となった。 FM-7が販売面で成功したのは本体価格が126,000円という低価格にも関わらず、当時の最新機能を盛り込み1クラス上のPCに匹敵または凌駕する性能を備えていたことにある。同時期の人気機種は、NEC PC-8801(228,000円)、PC-9801(298,000円)、日立 ベーシックマスターレベル3(298,000円、後に価格改定)。学生を中心に人気があった「パピコン」ことNEC PC-6001(89,800円)やコモドールVIC-1001(69,800円)などの初心者PCのユーザー層にも大きな影響を与え、その成功から、FM-7を引き継ぐ形で、後継機が完全上位互換で作られていく形になる。 FM-8から引き続き、広いメモリ領域とVRAM領域の確保と処理速度向上のためにメイン(演算部)、サブ(グラフィック部)に独立した6809を搭載する贅沢なアーキテクチャを採用した。FM-8を祖とするこの設計は、マルチCPUとしてではなく、ホストCPUとグラフィック端末(現代で言えばGPU)の関係にあり、サブCPUに処理の大きな表示周りの作業をさせることによるメインCPUの負担を軽減することに目的があった。また、このグラフィックスサブシステムの実装では、キャラクターコードをハードウェア的にフォントに展開するテキストVRAMを持たなかったため、ハードウェアによるスクロールが使えない画面モードでは、当時の処理速度と比較して広大なグラフィックVRAMを再描画する必要があり、リスト表示などでのスクロールのもたつきや、カーソルを移動するとその通り道にあったグラフィックも消えてしまうという制限も引き継いでいる。また、リアルタイムゲームが流行すると両システム間の転送容量に制限やタイムラグがあったこと、キーボードのスキャンを専用CPUに任せ、チャタリング除去なども行っているためにBREAK以外のキーでは押下した結果しか認識できず、ユーザの間ではリアルタイムゲーム向きではないとされ、議論になった。前述のとおり、任意のコードの実行を想定して設計されているわけではないサブシステムではあったが、サブシステムモニタ開発時、デバッグ用に実装されたメンテナンスコマンドの利用や、そのノウハウの蓄積、後述する内部技術資料の積極的な公開により、サブシステムで任意のプログラムを実行することで、描画の高速化や、高速にデータを転送するテクニックなどが考案され、ハードウェア的なキー入力の制限を除けば、競合機種と同等のゲームが発売されるようになっていった。 他社と同様、富士通も本体添付品や別売マニュアルという形でBIOS、I/Oアドレス、ファームウェア、システムコマンド等を積極的に公開した。また富士通の支援により、FMシリーズ専門誌『Oh!FM』(日本ソフトバンク、後の『Oh!FM TOWNS』)をはじめとして、技術評論社や工学社などから『活用マニュアル』などと呼ばれる良質なリファレンスマニュアルが多く出版された。またショウルームやサポートセンター経由では、内部技術資料なども必要に応じて比較的簡単に入手できた。 回路設計の問題としては、同等の音源を搭載した他機種に比較して、サウンド出力にデジタル回路からリークしたノイズも多く、音割れも見られた。 1985年、スペインのSECOINSA社という富士通に近い会社より FM-7 が販売されている。
※この「FM-7」の解説は、「FM-7」の解説の一部です。
「FM-7」を含む「FM-7」の記事については、「FM-7」の概要を参照ください。
- FM-7のページへのリンク