5リットルニュー7 (474S)
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「トヨタ・7」の記事における「5リットルニュー7 (474S)」の解説
1969年に登場した2代目(ニュー7)は社内コード474Sと呼ばれる。1968年5月の日本グランプリ直後に開発がスタートし、同年7月にヤマハが具体的な開発作業に着手。1969年3月末に1号車が完成した。 シャーシは問題の多かったモノコックから、コンベンショナルな鋼管スペースフレームに変更。走行後にパイプ内に圧縮空気を充填し、フレームのひび割れがないか検査した。リアサスペンションは一般的な4リンクとされたが、初代よりもステアリングが重く、強いアンダーステア傾向を示した。ラジエーターはフロントからシャーシの両サイドへ移設され、エアインテークはカウル上面(コクピット両脇)に開口された(シャパラルが先鞭をつけたサイドラジエーターは、当時としては目新しい設計であった)。ギアボックスはZFからヒューランド5速に変更。 前年の日本グランプリでシボレー製5.5リットルエンジンを搭載する日産・R381に敗れたことから、エンジン排気量を4,986ccまで拡大した79E型エンジン(90度V型8気筒DOHC4バルブ)が開発された。当時量販され始めたフォーミュラ1用フォード・コスワース・DFVエンジンを手本とし(実物を入手したのは基本設計の終了後)、エキゾーストが一般的なバンク外排気に変更され、インジェクターが定時噴射式に変更された。1969年の日本グランプリではエンジン上部にインダクションポッドが追加された。公称出力は530PS/7,600rpmで最大トルク53mkg/5,600rpm、ベンチテストでは最終的に584PS/8,400rpm、53.07mkg/6,500rpmを記録した。なお、3リットル7と同じく、エンジン完成まではシボレー5.8リットルV型8気筒エンジンを搭載してテスト走行を行った。 当初、ボディはロングテールのクーペとして開発された。474Sの完成前には、415Sに試作ボディを架装してテストを行っており、袋井でのテスト中に福澤幸雄が事故死した時にはこのロングテール3リットル7をドライブしていた(チーム・トヨタのリーダーだった細谷四方洋も、1週間ほど前に谷田部テストコースでこの車両を走らせたと述べている)。しかし、重量が増えることに加え、ドライバーから「視界が悪い」という不満が出たため、ショートテールのロードスターへと再設計された。ボディカウルはトヨタが当時、業務提携を結んでいたダイハツ工業の風洞施設で実験され、曲面的な415Sよりも直線的なデザインとなった。 この年、FIAが安全面から一時ウィングの使用を禁止したため、日本グランプリではリアスポイラーを取り付けていたが、11月に行われた第2回ワールドチャレンジカップ・富士200マイルレース(通称「日本Can-Am」)はルール適用外だったため、一枚板の大判リアウィングを装着した。このリアウィングは骨組みにバルサを用いて軽量化したもので、1970年の3代目でも使用された。 フロントビュー リアビュー
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