167系
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モハ167-12 走行音 この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 修学旅行列車用電車は1959年に東京・関西地区向けとして155系が落成し「ひので」「きぼう」で運用開始されたのに続き、1961年には中京地区向けとして159系が落成し「こまどり」で運転開始。これに続き群馬県・栃木県・茨城県の北関東地区向けとして165系をベースに開発設計されたのが本系列であり、52両全車が汽車製造で製造された。 基本的構造では155・159系同様に乗降頻度が少ないことから客用扉幅を狭め、客席には脱着可能な大型折り畳み式テーブルを装備するほか、形式は155・159系での編成組成を前提にモハ167・166ユニットとクハ167形のみの構成とした。しかし室内設備は季節列車等一般列車にも投入することを想定して原型となった165系との相違点は少なく、低屋根構造はパンタグラフ部のみである。 1965年7月13日付で関東地区対京阪神増発用として4両編成x4本を組成するモハ167・166-1 - 4・クハ167-1 - 8の16両が田町電車区へ、1966年1月 - 2月に山口・広島両県からの要請による山陽地方用として6両編成x4本と4両編成x3本を組成するモハ167・166-5 - 15・クハ167-9 - 22の36両が下関運転所へ新製配置された。田町配置車は1974年に修学旅行用列車の東海道新幹線移行に伴い、波動輸送を中心にした運用に転用された。下関配置車は1975年の山陽新幹線岡山 - 博多間延伸に伴う修学旅行用列車廃止により、モハ167・166-5 - 9・クハ167-9 - 18の4両編成x5本計20両が田町電車区へ、モハ167・166-10 - 15・クハ167-19 - 22の8両編成x2本計16両が宮原電車区へ転出し、波動輸送中心に運用に転用されたが、1981年10月 - 1985年3月には唯一の定期急行列車運用となる「ごてんば」2往復に田町区配置車が充当された。 塗色は修学旅行色と呼ばれるライトスカーレット(朱色3号)とレモンイエロー(黄5号)とされたが、1978年9月に車両塗装に関する規定改定により修学旅行色が廃止されたため1979年以降は湘南色に変更された。 また1978年初夏から1981年にかけて、モハ167形がAU13EN形分散式6基、クハ167形が同形5基、モハ166形がAU72形集中式を搭載する冷房化改造工事を田町所属車が大井工場で、宮原所属車が吹田工場で施工された。冷房改造と同時に電源用三相引通を設置したことからクハ167形は総括制御回線を片渡り構造に変更。このほか出入台部飲料水タンクならびに洗面台撤去を実施し、宮原所属車はモハ166形を除く各車の物置を洗面所に変更する工事も同時施工した。 湘南色への塗装変更は別施工であったことから1981年中頃までは修学旅行色を施した冷房車も存在した。 1982年にクハ167-2が事故廃車となったため当時神領電車区で廃車前提の休車だったクハ165-3を1983年1月29日付で転入させ代車として編成組成した(詳細は後述)。その後は転属・廃車もなく分割民営化時にはJR東日本には35両が、JR西日本には16両が承継された。修学旅行用電車で冷房改造およびJRに継承された唯一の形式である。 167系製造分類製造会社落成クハ167モハ167・166配置JR化時承継先汽車製造 1965年 1 - 8 1 - 4 田町 JR東日本田町電車区(クハ167-2は1984年に事故廃車) 1966年 9 - 18 5 - 9 下関→田町 19 - 22 10 - 15 下関→宮原 JR西日本宮原電車区
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