1680年代
1680年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 20:09 UTC 版)
詳細は「1680年代」を参照 1680年徳川綱吉が江戸幕府第5代将軍となる。大老酒井忠清が解任される。 シヴァージーが死亡し、息子サンバージーがマラーター王となる。 ヌエバ・エスパーニャでプエブロの反乱。 1681年ムガル皇帝アウラングゼーブがマラーター王国を打倒するため、デカン地方へ自ら遠征。デカン戦争の勃発。 フランス軍のストラスブール占領(ストラスブールの降伏)。 フランスで竜騎兵(ドラゴナード)によるプロテスタントの迫害。 将軍綱吉による越後騒動の直裁により、越後高田藩が改易される。 将軍生母桂昌院の発願により江戸に護国寺が創建される。 井原西鶴の『好色一代男』が刊行される。この時代を代表する浮世草子の始まり。 クエーカー教徒のウィリアム・ペンがペンシルベニア植民地を創設する。 1682年宮殿の完成に伴いフランスの宮廷と政府がヴェルサイユに移動する( - 1789年)。 モー司教ボシュエが「フランス教会の聖職者宣言」でガリカニスムを擁護。 フランス人ロベール=カブリエ・ド・ラ・サールがミシシッピ川からメキシコ湾までの探検を行う。ラ・サールはルイ14世の名にちなみこの地域をフランス領ルイジアナと名づけ領有を宣言する。 ストレリツィ(銃兵隊)の蜂起によりソフィア・アレクセーエヴナがロシアの摂政となる。 1683年第二次ウィーン包囲。 武家諸法度改正(天和令)により、殉死の禁止と、末期養子の禁緩和が明文化される。 天和の大火(お七火事)。 清が鄭氏政権を降伏させ、台湾を占領。 1684年清で遷界令が解かれ展界令が出される。 江戸城内で大老堀田正俊が若年寄稲葉正休に刺殺される。 渋川春海により貞享暦が導入される。 フランス軍のジェノヴァ遠征。 1685年フランスでナントの勅令廃止(フォンテーヌブロー勅令)。 ブランデンブルクで亡命フランス人プロテスタントを受け入れるポツダム勅令が出される。 イングランド王チャールズ2世の死去、弟のジェームズ2世が即位。モンマス公の反乱が起こる。 アルバジン包囲戦で、清朝とロシアが激突( - 1687年)。 1686年服忌令を改訂( - 1693年)。 アユタヤ朝タイ王国の大使としてチャオプラヤー・コーサーパーンがフランスに派遣され、ルイ14世に謁見する。 1687年生類憐れみの令(この後、1708年まで繰り返し出される)が出され、田畑永代売買禁止令も再び出される。 後西天皇が譲位し、第113代東山天皇が即位し、200余年ぶりに大嘗祭が復活する。 アイザック・ニュートンが『プリンキピア』にてニュートン力学を発表。 シャルル・ペローの頌詩「ルイ大王の世紀」をきっかけに「新旧論争」が始まる。 教皇インノケンティウス11世が教令「チェレスティス・パストル」によりキエティスムを断罪。 オスマン帝国との戦争中にヴェネツィア軍がアテネのパルテノン神殿を大破させる。 イエズス会士フィリップ・クプレらにより『論語』他の中国古典のラテン語訳がパリで出版される 1688年イングランド国王ジェームズ2世が逃亡、オラニエ公ウィレムが招かれ国王ウィリアム3世として即位(名誉革命)。 大同盟戦争(ファルツ継承戦争)が起こる( - 1697年)。 1689年イングランド王ウィリアム3世・メアリ2世が「権利宣言 (1689年)(英語版)」に署名。これをもとに「権利章典」が発布される。 清とロシアの国境がネルチンスク条約で定まる。 ロシアの摂政ソフィア・アレクセーエヴナが失脚する。 サンバージーがアウラングゼーブに敗れ、拷問の末に処刑される。弟ラージャーラームがマラーター王となる。 松尾芭蕉が後に紀行文『おくのほそ道』としてまとめられる東北・北陸への旅に出立する。 長崎に唐人屋敷が作られ清人の居住を制限する。
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