1630年代
1630年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 20:09 UTC 版)
詳細は「1630年代」を参照 1630年マクデブルクの戦い(マクデブルクの惨劇)。 オランダがポルトガル領ブラジルのレシフェを占領( - 1654年)。 明の崇禎帝の命で袁崇煥が処刑され、内閣大学士の銭龍錫が失脚する。 山田長政が暗殺され、アユタヤ日本人町が焼き払われる。 フランスで「欺かれし者の日(英語版)」事件。 1631年フランス母后マリー・ド・メディシスが再失脚。 ベールヴァルデ条約が結ばれ、フランスとスウェーデンの軍事同盟成立。 ブライテンフェルトの戦いで、スウェーデン国王グスタフ2世アドルフが皇帝軍に大勝。 1632年リュッツェンの戦いで、スウェーデン国王グスタフ2世アドルフが戦死。王女クリスティーナが女王となり、オクセンシェルナが摂政として補佐する。 カンボジアに到達した森本右近太夫一房がアンコール・ワット回廊に墨書を書き残す。 黒田騒動。 1633年ガリレオ・ガリレイがローマ教皇庁から有罪の判決を受け終身刑を言い渡される。 ハイルブロン同盟結成。 料羅湾海戦で、ハンス・プットマンス率いるオランダ東インド会社海軍が鄭芝龍率いる明海軍に勝利。 長崎のキリスト教徒弾圧で、中浦ジュリアンが殉教、クリストヴァン・フェレイラ(沢野忠庵)が棄教する。 対馬藩国書改竄問題が起こる(柳川一件)。 1634年長崎に出島造成。 将軍家光の弟である駿河大納言徳川忠長が切腹を命じられる。 鍵屋の辻の決闘(伊賀越えの仇討ち)。 神聖ローマ帝国軍総司令官アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインが暗殺される。 ネルトリンゲンの戦いで皇帝軍がスウェーデン軍らハイルブロン同盟に勝利。 フランスの「ルーダンの悪魔憑き事件(英語版)」で司祭ユルバン・グランディエが処刑される。 1635年アカデミー・フランセーズ創設。 モンゴル帝国(チャハル部)のエジェイが後金に降伏。元朝伝来の玉璽が後金にわたる。 武家諸法度改正(寛永令)により、参勤交代の制度化と大型船建造が禁止が盛り込まれる。 フランス人デスナンビュック(英語版)がセントクリストファー島からマルティニック島に上陸しこの地をフランス領とする。 1636年ホンタイジが国号を後金から大清に、女真を満洲に改める。 丙子の乱で清が朝鮮に攻撃。 寛永通宝が鋳造される。明銭に替わる本格的な通貨鋳造であり、全国的な流通が実現された。 日光東照宮の「寛永の大造替」により陽明門や本殿・拝殿が整備される。 ハーバード大学がアメリカ最古の大学として創立される。 1637年島原の乱( - 1638年)。 朝鮮が降伏し、清と三田渡の盟約を締結。明に代わり清の皇帝を認める(大清皇帝功徳碑)。 オランダでチューリップ・バブル事件。 ルネ・デカルト『方法序説』刊行。 1638年清が理藩院を設置。 ライン川沿いのブライザッハ(英語版)要塞がフランス軍に占領され「スペイン街道」が寸断される。 1639年フランス人イエズス会士たちがカナダの宣教拠点「ヒューロン族の国における聖母マリア(サント・マリ・オ・ペ・デ・ユーロン)」を設置。 スコットランドで主教戦争が起こり、「三王国戦争(広義の清教徒革命)」に拡大する。 日本へのポルトガル船の寄港を禁止する。
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