にっこう‐とうしょうぐう〔ニツクワウトウセウグウ〕【日光東照宮】
読み方:にっこうとうしょうぐう
⇒東照宮
日光東照宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 13:37 UTC 版)
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、日本の関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である。また久能山東照宮・上野東照宮と共に三大東照宮の一つに数えられる。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために「日光東照宮」とも呼ばれ、東照宮の公式サイトにも「日光東照宮」と書かれている[1]。
- ^ 江戸時代には、関東地方は関八州と呼ばれ、武蔵国、相模国、上総国、下総国、安房国、上野国、下野国、常陸国の八国を指した。
- ^ この際、元々の社殿は世良田東照宮に移築された。
- ^ 一般には「狛犬」と称されるものだが、厳密には頭上に一角を有するものを「狛犬」、角のないものを「獅子」と称する。陽明門安置像は阿形・吽形とも頭上に角のないもので、参考文献では両方とも「獅子」であるとしている[16]。
- ^ 工藤 1989ではこの動物の名を「ヨウ」(獣偏に「恙」)としているが、ここでは高藤 1999に従い「息」とする。
- ^ 工藤 1989では下段尾垂木を「獏」としているが、ここでは高藤 1999に従い「息」とする。
- ^ 彫刻の主題の特定は主に工藤 1989 p.50によるが、鳥の名前については高藤 1996 p.141によった。
- ^ 本殿裏に位置する背面唐門は拝観不可。
- ^ 本地堂と経蔵の2棟は東照宮と輪王寺との間で帰属について係争中であり、財団法人日光社寺文化財保存会が文化財保護法の規定による「管理団体」に指定されている。
日光東照宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 22:48 UTC 版)
迅衝隊総督の板垣退助は、日光東照宮の文化財の中に隠れて戦おうとしない大鳥圭介ら旧幕府軍に対して、日光の僧侶を通じて「徳川氏祖先の位牌に隠れて、灰燼と帰すような事態となれば、幕府軍は末代までの笑い者になるであろう、表に出て尋常に勝負せよ」と説得をし、また一方で「日光が灰燼と化すのも止む無し」と強弁する官軍諸兵に対しては、「日光東照宮には後水尾天皇の御親筆の扁額がありこれを焼くことは不敬に当たる」と理由を使い分けて双方を説得し、日光を兵火から守った。のち1929年(昭和4年)、この業績を讃える為に日光東照宮に板垣退助の像が建立され、第16代徳川宗家を継いだ徳川家達が銅像の題字を揮毫している。
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