高橋克也 (オウム真理教)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 高橋克也 (オウム真理教)の意味・解説 

高橋克也 (オウム真理教)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 12:59 UTC 版)

オウム真理教徒
高橋 克也
誕生 (1958-04-26) 1958年4月26日(65歳)
神奈川県横浜市
ホーリーネーム スマンガラ
ステージ 師長補
教団での役職 諜報省
入信 1987年
関係した事件 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
地下鉄サリン事件
東京都庁小包爆弾事件
会社員VX殺害事件
被害者の会会長VX襲撃事件
判決 無期懲役(上告棄却)
テンプレートを表示

高橋 克也(たかはし かつや、1958年4月26日 - )は、オウム真理教の元信徒。神奈川県出身。ホーリーネームスマンガラで、教団が省庁制を採用した後は「諜報省」に所属した。オウム真理教事件実行犯の1人として、警察庁特別指名手配被疑者に指定され、長期間逃亡していた。同姓の高橋昌也とは縁戚関係はない。

人物

幼少期から阿含宗入信まで

サラリーマンの父とパートタイマーの母の元、1958年、横浜市港北区に生まれる[1][2][3]。4歳違いの兄がいる。幼少期より両親が長男である兄を自分より大事にしているのではという劣等感を持って育つ。兄は小学校から高校まで進学校に進み、国立大学に進学したが、高橋は特に将来の夢が無く、次男であることから大学進学も諦める。 1979年、横浜市の高等専門学校を卒業後(1979年神奈川県に高等専門学校は存在しない)、自宅近くの電気関係の会社に就職するが人間関係がうまくいかず退職。大学出と差別されている、兄や両親のせいで大学にいけなかったという思いに悩まされ精神世界へ救いを求め阿含宗に入信し、瞑想とヨーガの修行を始めるが、ここでもうまくいかなかった。阿含宗には具体的な指導理論はなく指導者もいないと感じ、道場の世俗的な雰囲気にも馴染めなかった[4][3]

オウム真理教に入信

そんな時に麻原彰晃の著作『超能力「秘密の開発法」』を読み、興味を持ち春頃には世田谷の公民館で行われたセミナーに参加[3]1987年5月にオウム神仙の会に入信し、7月に全財産である自動車と現金300万円をオウム真理教に布施して出家。麻原のシャクティ・パットを受けてクンダリニーの覚醒を体験。「バクティ」と呼ばれる奉仕活動に励み、セミナーの準備や新しい信徒への対応、九州支部の設立準備などの「ワーク」を精力的にこなし、教団幹部の自動車を運転したり、自動車の整備をする「車両班」に配属され、若くして教団幹部となった井上嘉浩の運転手となる[3]柔道の有段者であることを買われ、麻原の身辺警護を担当する「SPS(尊師パーソナルスタッフ、後の自治省)」にも所属したが、諜報省に移籍し井上嘉浩の補佐役となった。

公証人役場事務長逮捕監禁致死事件では拉致と遺体焼却[5]の実行犯、地下鉄サリン事件では帝都高速度交通営団(現東京地下鉄日比谷線でサリンを散布した豊田亨の送迎役を務めたとして警察から特別指名手配された。上記の指名手配容疑以外にも会社員VX殺害事件における運転役、被害者の会会長VX襲撃事件における実行役の補佐役、東京都庁小包爆弾事件における爆弾の起爆装置製造の容疑も加わった。

1996年(平成8年)11月に埼玉県所沢市マンション菊地直子北村浩一らと5人で潜伏していたことが判明している。

菊地直子逮捕後

逮捕時に高橋が潜伏していた漫画喫茶「コミックガーデン」(左)

1996年11月以降は足取りが途絶え、海外逃亡説も取り沙汰されたが[6]、2012年6月3日、神奈川県相模原市逮捕された菊地直子の供述により、2007年ごろまで菊地と生活を共にしていたが、その後は別行動を取っていた事が分かった。

逃走中は実在する人物の住民票を悪用し、本人になりすまして生活していた。一時期千葉県内のパン屋の責任者として潜伏生活を行っていたこともあるという。2011年12月まで、川崎市幸区アパートに潜伏していたが契約更新に関するトラブルで退居し、その後は2012年6月まで同市川崎区所在の勤務先社員寮に転居し、6月4日に新聞で菊地の逮捕が報じられると逃亡を再開した。警察が高橋が住んでいた川崎市の社員寮に踏み込んだのは逃亡から3時間近く経過した後だった。

菊地逮捕以降、高橋は「最後のオウム逃亡犯」「オウム逃亡犯最後の1人」と呼ばれた。警察は逃亡を続ける高橋を逮捕するために一般市民から情報提供を呼びかけるべく、職場に提出された履歴書の顔写真を公開した。また警察は顔写真だけでなく、逃走直前に預金ほぼ全額を引き出した金融機関や職場での高橋の顔が映った防犯カメラの映像、コンビニ弁当と菊地逮捕を報じる新聞を購入した際の防犯カメラの画像を公開した。

さらに逃走直前にスーパーで逃走用に購入したとみられる青いキャリーバッグの存在、職場関係者の証言に基づく似顔絵、金融機関から引き下ろした200万円以外にも菊地の同居人の証言から資金を持っており数百万円を所持している可能性があること、「潜伏先は地方を避けて都会にすべき」や「空港には防犯カメラが多いから避けるべき」と高橋が供述していたとする菊地の証言、キャリーバックを購入したスーパーからタクシーに乗車する際に脚と青いキャリーバッグがわずかに映った防犯カメラの映像、社員寮に夏服がない一方で冬服が残されていることから何着かの夏服が持ち出されている可能性が高いこと、社員寮に防犯カメラ特集の雑誌が残されており防犯カメラに関する知識を悪用して逃亡している可能性が高いこと、川崎駅周辺の透明なドア越しに歩く姿がわずかに映った喫茶店の防犯カメラの映像、職場に提出された履歴書や金融機関払戻請求書に書かれた筆跡に至るまで連日に逐次公開し、結果として連日にわたって世間の注目を集めることになった。

マスコミもこれらの警察の細かな発表だけでなく捜査特別報奨金制度(公的懸賞金制度)の対象であることを併せて報道し、高橋の足取りだけでなく逃亡手段や潜伏先や心理状況に至るまで専門家が推理・分析し、コメンテーターが論評し、現職の捜査責任者である警視庁捜査一課理事官生放送テレビ番組に出演し情報提供を呼びかけるなど異例の展開を見せ、「劇場型捜査」と呼ばれた。

市民から有力な内容を含むいくつかの情報が寄せられる中、逃亡開始から17年後の2012年6月15日午前、潜伏していた東京都大田区西蒲田漫画喫茶「コミックガーデン」[7]で似た男がいると通報があり、駆け付けた捜査員が「高橋克也の件で捜査しています」と聞くと「はい。私が高橋克也です」と素直に応じ、連行された蒲田警察署で逮捕された[8]。2011年12月31日、丸の内警察署に自ら出頭した平田信の逮捕から僅か半年で最後のオウム逃亡犯である高橋が逮捕されたことで、オウム真理教事件は一つの節目を迎えた[9][10]

逮捕後の取り調べで麻原への帰依を否定した平田や菊地と異なり、高橋は逃亡中に使用していたキャリーバッグの中に麻原の著書や写真、説法の録音されたカセットテープが入っており、また捜査員に対し麻原のことを「尊師」と呼んでいること、取り調べ中に「教団の修行を積めばパワーがみなぎる」などと話していることなどから、麻原への帰依や教団の教えを支えに逃亡生活を続けていたと思われる[11][12][13]

裁判

地下鉄サリン事件東京都庁小包爆弾事件会社員VX殺害事件被害者の会会長VX襲撃事件公証人役場事務長逮捕監禁致死事件起訴されたが、現場の見張り役として関与した[14]駐車場経営者VX襲撃事件については「起訴された2つのVX事件より前の事件で、VXの効能などを理解していたことを示す十分な証拠がない」として嫌疑不十分で不起訴処分とされた[15][16]。2012年9月24日に高橋が公証人役場事務長の事件で起訴されたことで、一連のオウム真理教事件の捜査は終結した。

裁判員裁判による初公判は2015年1月16日に東京地方裁判所で行われ、同年4月30日の判決公判では、全事件で有罪が認定され、求刑通り無期懲役の判決が言い渡された。江川紹子によると、公証人役場事務長の事件以外については特に謝罪はなかったという[4]

同年5月1日、一審の判決を不服として東京高等裁判所控訴した。2016年9月7日、東京高裁は一審判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した[17]

2018年1月18日付で、最高裁判所第二小法廷菅野博之裁判長)は、高橋の上告を棄却する決定をした[18][19]。高橋は上告棄却決定を不服として異議申し立てを行ったが、最高裁第二小法廷は1月25日付で、この異議申し立てを退ける決定をした[20]。これにより、一・二審の無期懲役判決が確定し、オウム真理教事件の一連の刑事裁判が終結することとなった[18][19][20]

公訴時効

1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件の犯行時は殺人罪・殺人未遂罪の公訴時効は15年であったが、共犯者の公判が約16年行われていたため刑事訴訟法254条2項の規定により公訴時効は停止し、2010年平成22年)4月に刑事訴訟法改正により殺人罪の公訴時効が廃止され、捜査が継続していた。これにより、高橋に対する地下鉄サリン事件の殺人罪での訴追が無期限で可能となった。

関連事件

警察が手配時に公表していた情報

  • 身長173cm位
  • 眉毛が濃い
  • 頭が大きい
  • 近視(眼鏡使用あり)

その他

1999年(平成11年)7月に発生した全日空61便ハイジャック事件のハイジャック犯は刃物を飛行機に持ち込む際の航空券予約において「タカハシ・カツヤ」の偽名を用いた。

参考文献

  • 『オウム法廷2 上』(朝日新聞社 1998年)

脚注

  1. ^ 高橋容疑者の実家の家宅捜索開始 母親死亡後の昨年から空き家産経新聞 2012年6月14日[リンク切れ]
  2. ^ うつむきつぶやくように「高橋克也です」 逮捕時からはかなり痩せ…幕開けたオウム裁判最終章産経新聞 2015年1月16日
  3. ^ a b c d 刑事裁判を考える:高野隆@ブログ”. 2019年3月9日閲覧。
  4. ^ a b 今も心は信者のままーー【オウム高橋被告裁判】が露呈した、カルト問題の根深さと罪深さ | ビジネスジャーナル
  5. ^ 高橋克也被告4回目の起訴 オウム事件捜査すべて終結 産経新聞 2012年9月24日
  6. ^ 吾妻博勝「王国への追跡」(晋遊舎 2010年 ISBN 978-4-86391-063-8
  7. ^ 逮捕翌日の6月16日付のサンケイスポーツ1面に記載。2012年6月16日閲覧。
  8. ^ NHKスペシャル取材班「未解決事件 オウム真理教秘録」 p.378
  9. ^ オウム高橋克也容疑者を逮捕 逃亡生活17年 地下鉄サリンなど関与の疑い 日本経済新聞 2012年6月15日
  10. ^ オウム高橋克也容疑者を逮捕 東京・大田区の漫画喫茶で身柄確保 スポニチ 2012年6月15日
  11. ^ 高橋容疑者 バッグに松本死刑囚の写真…依然オウム信仰か スポニチ 2012年6月16日
  12. ^ 高橋容疑者 オウム信仰継続?バッグに松本死刑囚の写真 スポニチ 2012年6月17日
  13. ^ 高橋容疑者、松本死刑囚写真所持 依然オウム信仰か 共同通信 2012年6月16日
  14. ^ オウム高橋被告:VX襲撃に理解新実死刑囚が証言毎日新聞 2015年01月23日
  15. ^ オウム高橋克也容疑者を追起訴 VX殺人容疑などで 朝日新聞 2012年8月31日
  16. ^ 元オウム高橋克也容疑者を追起訴 都庁爆弾事件に関与 スポニチ 2012年7月30日
  17. ^ “オウム高橋克也被告 無期懲役の1審判決支持 殺人罪など”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2016年9月7日). オリジナルの2016年9月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160918190805/http://mainichi.jp/articles/20160907/k00/00e/040/261000c 2016年9月18日閲覧。 
  18. ^ a b “オウム裁判終結 高橋克也被告の無期懲役確定へ 最高裁が上告棄却(1/2ページ)”. 産経ニュース (産業経済新聞社). (2018年1月19日). オリジナルの2018年1月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180122055325/http://www.sankei.com/affairs/news/180119/afr1801190045-n1.html 2018年1月19日閲覧。 
  19. ^ a b “オウム裁判終結 高橋克也被告の無期懲役確定へ 最高裁が上告棄却(2/2ページ)”. 産経ニュース (産業経済新聞社). (2018年1月19日). オリジナルの2018年1月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180122055330/http://www.sankei.com/affairs/news/180119/afr1801190045-n2.html 2018年1月19日閲覧。 
  20. ^ a b “【オウム裁判終結】元オウム高橋克也被告の異議申し立て棄却 最高裁”. 産経ニュース (産業経済新聞社). (2018年1月26日). オリジナルの2018年2月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180201141052/http://www.sankei.com/affairs/news/180126/afr1801260046-n1.html 2018年2月1日閲覧。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高橋克也 (オウム真理教)」の関連用語

高橋克也 (オウム真理教)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高橋克也 (オウム真理教)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高橋克也 (オウム真理教) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS