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野中広務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/22 22:30 UTC 版)
野中 廣務[1](のなか ひろむ、1925年(大正14年)10月20日 - )は、日本の国鉄職員、政治家、福祉事業家。勲等は勲一等。報道や自著などでは新字体で野中 広務(のなか ひろむ)と表記されることが多い。社会福祉法人京都太陽の園理事長、京都府土地改良事業団体連合会会長、全国土地改良事業団体連合会会長理事、平安女学院大学文化創造センター客員教授、立命館大学客員教授、日本行政書士政治連盟最高顧問、京都府剣道連盟名誉会長。
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- ^ a b 「法人役員――法人の役員名一覧」『社会福祉法人京都太陽の園』京都太陽の園。
- ^ 『野中広務 差別と権力』 49-51頁
- ^ 『野中広務 差別と権力』 65-67頁
- ^ a b c 野中広務「今、日本を憂う」『野中広務・元自治相 (特別参加): 全国知事リレー講座 : 大学新時代 : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)』読売新聞、2004年7月5日。
- ^ 『野中広務 差別と権力』 143-144頁:京都新聞の元政経部長笹井慈朗によると、野中が「反蜷川の闘士」として売り出した後も、彼と蜷川との信頼関係は続いていたという
- ^ 世界人権問題研究センター(編集)。上田正昭(監修)『京都人権歴史紀行』人文書院,1998年,66から68頁
- ^ 海野謙二『野中広務ー素顔と軌跡ー』
- ^ 『野中広務 権力の興亡 90年代の証言』
- ^ 「教員一覧」『平安女学院│大学・短期大学部│平安女学院大学・短期大学について│教員一覧』平安女学院。
- ^ 「野中広務客員教授」『野中 広務 客員教授』平安女学院。
- ^ a b 『全国土地改良事業団体連合会役員名簿』2008年4月1日。
- ^ a b “自民党の野中元幹事長が離党”. 産経新聞. (2011年4月5日) 2011年4月5日閲覧。
- ^ “自民党・野中元幹事長が離党届”. 読売新聞. (2011年4月5日) 2011年4月5日閲覧。
- ^ 『私は闘う』
- ^ 『老兵は死なず 野中広務全回顧録』。この体験談は、1997年4月11日の衆議院特別委員会でも前置きとして語った。
- ^ 松田賢弥『闇将軍 野中広務と小沢一郎の正体』
- ^ ただし、国政進出後からは公言したことはなかった。
- ^ a b 『野中広務 差別と権力』 384から386頁、391から393頁
- ^ 角岡伸彦は著書『はじめての部落問題』で『野中広務 差別と権力』からこの事件の記述を引用し、「野中が小泉首相も出席した総務会で差別発言を指弾したにもかかわらず、不幸にも、麻生(福岡8区選出)はその直後、部落差別の担当官庁である総務省の大臣に就任した。泥棒が警察官になるようなもので、これほど不適切な大臣登用はない。麻生は後に、衆議院総務委員会でこの問題を追及されたとき、「そのような発言をしたことは全くありません」と事実を否定している。ではなぜ、野中に指弾された総務会の席上で「何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった」のか、不可解である。その後、この問題発言は、うやむやになってしまった。しかし、部落出身という理由による総理大臣就任阻止の動きがあったとすれば、未遂ではあるが、有権者の代表である国会議員による“就職差別”である。」と解説している。
- ^ 『週刊ポスト』は第40巻第44号で「本誌は01年の総裁選当時、大勇会のA議員から“麻生発言”をめぐる混乱の顛末について証言を得ていた。A議員によれば、麻生発言がなされたとされる大勇会の会合の翌日、麻生氏側のB議員が自民党幹事長室に呼ばれたという。「そこには険しい表情をした野中氏が待っていて、前日の会合の議事録のようなメモを突きつけ『麻生が何をいったか全部わかっている。オレは絶対に許さない』と通告したB議員は真っ青になって派閥に戻り、経緯を報告した」という内容だった。」と報じている。
- ^ 先日、多民族共生人権教育センターの総会が開かれ、その記念講演で野中広務さんに来て頂きました。野中さんは「まさか、私が大阪人権センターに呼んで頂けるとは」と言っておられました。その懇親会の席で、私は『野中広務 差別と権力』(魚住昭著)に書かれている麻生太郎の差別発言について「あれは本当なんですか」と直接聞きました。実は部落解放同盟の中央大会でも、このことについて意見が出され、「解放同盟としては現在、事実確認ができていない」と答えていたからです。野中さんは「差別発言は本当です。次の選挙では、私は麻生の地元に入る。解放同盟も行動を起こすべきだ」と言われました。彼は、自身と部落解放同盟には考え方の違いはあるとした上で、部落差別が未だ根深いという認識は一致できるとして「差別をなくしていくためにも部落解放運動の中で、もっとエセ同和の問題に取り組んで欲しい。できたら自分の問題(麻生発言)も取り組んで欲しい」と言われました。部落解放同盟大阪府連合会書記長、北口末広近畿大学教授『大阪市人権協会mews』NO.22, 2005年6月15日
- ^ 都市共生社会研究分野主催シンポジウム『今こそ部落問題を語る—特別措置法の功罪について考える—
- ^ 第162回国会 総務委員会 第3号平成十七年二月二十二日(火曜日)
- ^ 『週刊現代』49巻1号、講談社、2007年1月13日。ただし「河野さんも言っている」という主張と異なる記述を2009年出版の「差別と日本人」ではしている
- ^ 「石炭六法は終わるが、旧産炭地が置かれた状況は変わらない。同和対策や在日朝鮮人の問題など政治的な責任はなくならない」
- ^ 鈴木宗男・上杉隆と藤本の対談「総裁選『迷走』の根源」(『週刊朝日』2008年9月26日号 p.24)
- ^ ダイヤモンド・オンライン『週刊 上杉隆』【第46回】2008年09月25日
- ^ 麻生総務大臣の「部落差別」発言について
- ^ 麻生総務大臣への申し入れ全文
- ^ 閣僚差別発言への要望書
- ^ 『週刊朝日』2008年9月26日号 p.24
- ^ 丹波マンガン記念館
- ^ 野中は『老兵は死なず 野中広務全回顧録』等の著書では強制連行された朝鮮半島の「人びと」や「人たち」としている。
- ^ ふらっと—特集 戦後60年と人権 野中広務さん
- ^ 民団新聞2006年12月6日,<在日から見える社会>
- ^ 対北朝鮮輸入禁止等に伴う緊急対策会議
- ^ 『老兵は死なず 野中広務全回顧録』
- ^ 産経新聞 1998年4月7日
- ^ NHK『日曜討論』 1999年12月5日
- ^ 中国共産党対外連絡部長 自民党の野中元幹事長らと会談
- ^ 後援会員が「殺した」と告白 南京占領71周年で野中氏 山陽新聞
- ^ 野中を語る言葉には事欠かない。「叩き上げ」「剛腕」「強面」「喧嘩上手」「権力志向」「気配り」「義理人情」「闇将軍」「キングメーカー」「情報収集能力」……。海野謙二編著『野中広務—素顔と軌跡』のうち「はじめに」より
- ^ 海野謙二『野中広務—素顔と軌跡』
- ^ 野中広務氏「官房機密費、毎月5千万〜7千万円使った」 朝日新聞
- ^ 時事通信2003年6月16日
- ^ 田中ひでおのメールマガジンー園部・三洋苑
- ^ 魚住昭『野中広務 差別と権力』
- ^ 野中広務『私は闘う』
- ^ 『野中広務 差別と権力』 83頁
固有名詞の分類
野中広務に関連した本
- 野中広務 差別と権力 (講談社文庫) 魚住 昭 講談社
- 私は闘う (文春文庫) 野中 広務 文藝春秋
- 野中広務 差別と権力 魚住 昭 講談社
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