速読術の歴史と現状
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科学的研究では、速読術は全ての文字を順に読んでいく読み方が前提になっている。拾い読みや飛ばし読み、斜め読みを方法とする速読術は研究の対象外である。科学的には速読も読書行動の一種であり、その意味で速読術の研究は読書の研究から始まる。読書を最初に研究したのは、実験心理学の祖とされるW. M. ヴント(Wilhelm Maximilian Wundt)と言われている。19世紀半ばのことである。ヴントは、ドイツのライプツィヒ大学教授で、感覚生理学を背景に、被験者の読書時の行動を観察する手法で研究を行った 。そのヴントの指導のもとに読書の研究を発展させていったのは、アメリカ人 J. M. キャッテルである。キャッテルは、綴りと単語認知、綴りと印刷形態、注意範囲などをテーマにした。キャッテルの影響を受けた研究者は数多く、20世紀に入ると、研究の中心はアメリカに移った 。ヴントとほぼ同じ時期に、読書行動過程を眼球運動と関連させた研究が、パリ大学の眼科医のE. ジャヴァールによって始められた。彼は、読書中の目の動きが停留(fixation)と飛越(saccade)の繰り返しであることを発見し、その論文は1879年に発表された。それまで読書中の目の動きは滑らかなものと考えられていたが、彼の研究によって、停留(fixation)と飛越(saccade)の繰り返しであることことが明らかにされたわけで、以後1950年頃まで、速読術は眼球運動との関係を研究テーマとして追及されていく。この意味で、速読術の研究は、ジャヴァールから始まったと言える。アメリカに読書研究の中心が移ると、その研究対象はさらに広げられていく。視声距離、読書速度、目や耳の認識、黙読中の唇の動き、視覚の鋭敏さなどといった研究がなされている。その中で、ウィスコンシン大学のクワンツ教授は、普通の人の読書は、目で見た文字を一度頭の中で音声化する過程を通して認識しているのに対して、読みの速い人は読書するときにこの音声化の過程を通すことなく、目で見た瞬間に認識できることを発見した 。さらに、眼球運動に関する研究は、20世紀初頭、ヒューイやドッジ、ジャッドらによって眼球運動を記録する装置が工夫されたのを機に、精力的に進められた。その結果、読書中の眼球運動は、停留(fixation)、飛越運動(saccade)、行間運動(sweep)、逆行運動(regression)の4つに大別できることが明らかになった 。その後、これらの眼球運動と読書速度との関係が多数研究され、読書心理学では、次の2つの事実が実験で明確にされた。(1)読書速度の速い人は、遅い人よりも、1行当たりの停留数が、少ない。(2)読書速度の速い人は、遅い人よりも、逆行数が少ない。 これらの実験事実から、速く読むためには、速い人の眼球運動を身に付けるようにするという方法論が提示された。停留数が少ないということは、1回の停留で読み取れる文字数が多い、すなわち認知視野が広いこと意味する。そこで、認知視野を広げることが、速読術の要諦と考えられた。また逆行数が少ないことは、集中して読んでいることを意味するので、集中して読むことも速読術の要諦となった。このような原理で作られたトレーニングが、アメリカ式速読法である。シラキュース大学では1925年に速読法の講座が開講された。以来、米国では正式科目として採用する大学も多く、各地で行われている。民間で有名なのは、エヴェリンウッドの速読法であり、ケネディ大統領やカーター大統領もこの方法で速読トレーニングしたと言われている。日本では、田中広吉が読書中の眼球運動を最初に観察したとされる。この原理の速読術は、馬淵、佐藤、阪本らによって日本に紹介された。それによると、アメリカ式速読術によって達成される読書速度は、3〜8倍程度とされる。上記の読書心理学の研究者らが読書の啓蒙書として速読術に関する書を著したが、1960年代頃からは、ビジネス分野での情報処理速度を上げるための自己啓発書として速読関係の本が出版されるようになった。このアメリカで発達した読書心理学の理論を踏まえながら、新しい読書力の教育法を提示したのは、大韓民国の国立ソウル大学校師範大学で専任講師をしていた朴鏵燁であった。その到達読書速度は1万字/分を超える画期的な方法であった。朴は、兵役で低下した学力を回復させた自分の体験をもとに、教育心理学と読書心理学の知見を総合して創案した読書教育であったが、結果的に画期的な速読教育を打ち出してしまったのであった。朴は、1970年代から研究を開始し、1976年12月に最初の研究論文を発表し、さらに1978年に最初の著書「読書能力を伸ばす実験読書方法」を著した。その講義は、師範大学教育研究所主催で1979年5月に開催された。その結果は、ソウル大学校総長、学長、所長の前で報告され、高く評価された。一方、その講義の様子は韓国の主要新聞やテレビで取り上げられ、「1分間に1万字を読む」と報道された。その結果、韓国内では直ちに、朴が独自に創案したトレーニング図を真似た速読術が多数現れた。その中には、1分間に100万字を読むというものまで現れ、その粗悪な内容がマスコミに批判され、やがて衰退していった。日本では1982年3月、NHK-TVの番組「NC9」で、韓国のソウル大学校の講義の様子や、民間の速読塾で子供たちが学ぶ様子が報道された。1984年、日本に韓国の速読術が入ってきたが、それは韓国で1分間に100万字を読むと宣伝して批判されたキム式速読術であったため、受講生の期待が大きい一方でトレーニングしても成果が出ないという批判も出た。そのため日本国内では、その後、様々な人がそれぞれ工夫した速読術を作り出していくこととなった。1980年代は、折しもパソコンやインターネットが普及し始めた時代であり、特にビジネス界では多量の情報を処理する能力の向上が望まれた。その流れに対応して、アメリカからも、フォトリーディングなど、民間で作られた方法が入ってきた。また国内でも、パソコンを使う方法のものなど、様々な速読トレーニングが生まれた。その流れは現在も続いている。1986年、清州師範大学(後に西原大学)助教授だった朴鏵燁は、NBS日本速読教育連盟に招かれ、「科学的速読法」について講演会やセミナーを開催するとともに、佐々木豊文と共同して、指導プログラムを作成した。以降、佐々木は自らの速読教室や目白大学(非常勤講師[1995.10〜2004.3])で講義を担当しながら指導プログラムの改善を図ってきた。また、日本医科大学の故品川嘉也教授、河野貴美子研究員を皮切りに、情報通信研究機構の藤巻則夫研究員、東京大学の植田一博教授、早稲田大学の宮田裕光教授ら、多くの研究者と共同して、1万字/分以上の速度で読むことのできる「速読脳」習得者について、実験心理学、認知科学、脳神経科学の方法を用いた研究結果を発表している。
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