自然数の歴史と零の地位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 02:26 UTC 版)
自然数は「ものを数える言葉」を起源とし、1 から始まる正の数であったと推定されている。文明が起こり、数字が考え出されたとき、ローマ数字、ギリシア数字、エジプト数字、バビロニア数字、マヤ数字、漢数字、等のどれもが1から始まる正の数字であった。つまり、「物がある」という概念を量的に表そうとしたのが数であり、「物がない」という概念は「無い」という言葉で充分だった。 最初の大きな進歩は、数を表すための記数法の発明であり、これで大きな数を記録することが出来るようになった。古代エジプト人は 1 から百万までの 10 の累乗それぞれに異なるヒエログリフを割り当てる記数法を用いていた。バビロニアでは、数字を離して表記することでその桁が 0 であることを示す六十進法の位取り記数法に似た方法が開発された。しかし、0 を表す文字がなかったため、例えば 10203 は 0 を空白にして "1 2 3" と正しく表記できるが、10200 は "1 2" となって 102 と区別できない欠点があった。オルメカとマヤの文明では紀元前1世紀までには、数字を離して 0 の桁を表す方法が独立に用いられていた。 抽象的な概念としての数の体系的な最初の研究は、古代ギリシアにおいてなされ、数論が高度にまで発達した。古代ギリシアの数学者エウクレイデスが編纂した『原論』の第7巻の冒頭で数の定義がなされている。 単位とは存在するもののおのおのがそれによって 1 とよばれるものである。 数とは単位から成る多である。 これは定規とコンパスによる作図で数を定義したものと解釈できる。すなわち、任意に与えた線分の長さを単位として 1 を定義する。そして、その線分を延長した直線上で単位を半径とする長さをコンパスで測り、その直線上でその単位を半径とする円との交点を作図し、その円の直径を 2 と定義する。同様にその直線上で円の直径に半径を繋いだ線分を作図し、その線分の長さを 3 と定義する。したがって、1 は数ではなく単位であり、2, 3, 4, …が数になるため、古代ギリシア人は 1 を数として認識しなかったと言える。 1世紀頃、無名のインド人によって、初めて 0 を使った完全な位取り記数法が発明された。彼はソロバンとよく似たビーズ玉計算機で計算していたとき、数のない桁を 0 で書いて、ビーズ玉計算機上の各桁の数をそのまま並べて書き表すと、計算結果を素早く書き残せることに気づいた。この 0 は、インド人の言葉で空(から)の意味を表す「スーニャ」と呼ばれた。こうしてできた記数法は、数の記録と計算に一大革命をもたらす大発明となった。しかし、ここでの 0 は数としての 0 ではなく、空の桁を表す目印に過ぎないものであった。 数としての 0 の概念は628年のインド人数学者ブラーマグプタによって見出され、現代の 0 の概念と近い計算法が考え出された。 19世紀、自然数の集合論的な定義がなされた。この定義によれば零を自然数に含める方がより便利である。集合論、論理学などの分野ではこの流儀に従うことが多い一方、数論などの分野では 0 を自然数には含めない流儀が好まれることが多い。どちらの流儀をとるにしろ、通常は著作あるいは論文毎に定義や注釈で明示される。とくに混乱を避けたい場合には、0 から始まる自然数を指すために非負整数、1 から始まる自然数を指すために正整数という用語を用いることもよくある。 計算機科学、特にプログラミングではよく 0, 1, 2, … が使われるが、これは記憶装置(メモリー)の住所(アドレス)の相対位置を表すことが多く、相対位置としては 0, -1, -2, … も処理の中で使われることから、自然数というよりは整数の範疇である。 19世紀のドイツの数学者レオポルト・クロネッカーが「整数は神の作ったものだが、他は人間の作ったものである」という言葉を残し、正の整数が自然な数と考えた頃から、自然数という用語が定着したとされる。
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