続いてヨーロッパから出航した艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/30 15:02 UTC 版)
「モンスーン戦隊」の記事における「続いてヨーロッパから出航した艦」の解説
ペナンを目指しヨーロッパを出航した潜水艦は、大きな損害に苦しんだ。まずはビスケー湾で、それから大西洋中部および喜望峰の周辺でも哨戒機が立ちはだかった。さらにペナン周辺には、解読された暗号情報に基づき、到着もしくは出航する潜水艦を待ち伏せる連合国の潜水艦が潜んでいたのである。 日本海軍の「伊 8」は1943年9月8日に対空機関砲、魚雷および航空機用エンジンを積載し、ドイツ人技師10名を伴って同年12月5日にシンガポールへ入港した。 「U-177 (U-177) 」は1944年1月2日に出航し、2月6日に南大西洋でアメリカ海軍のPB4Yの攻撃を受け、撃沈された。 「バニョリーニ」は「UIT-22」として1944年1月26日、輸送用の艤装で出航し、喜望峰近海でイギリス空軍第262飛行隊に所属するPBYの攻撃を受け、3月11日に撃沈された。 「U-801」は1944年2月26日に出航し、3月16日に護衛空母「ブロック・アイランド」の艦載機の攻撃を受け、撃沈された。 「U-1059 (U-1059) 」は1944年1月3日に魚雷を積載して出航し、3月19日に護衛空母「ブロック・アイランド」の艦載機の攻撃を受け、撃沈された。 「U-851」は1944年2月26日に水銀と潜水艦用の蓄電池500個を積載して出航し、1944年3月に行方不明となった。 「U-852 (U-852) 」は1944年1月18日に出航し、同年4月3日、アラビア海でイギリス空軍のヴィッカース・ウェリントンの攻撃を受け、撃沈されるまでにギリシャの貨物船「ペレウス」(Peleus、4,700トン)およびイギリスの貨物船「ダホミアン」(Dahomian、5,300トン)を撃沈している。 「U-1062 (U-1062) 」は1944年1月3日に魚雷を積載して出航し、4月19日にペナンへ到達した。 「U-1224」は日本海軍に転籍して「呂 501」と改称され、1944年4月に出航し、同年5月13日に大西洋でアメリカ海軍の護衛駆逐艦「フランシス・M・ロビンソン (USS Francis M. Robinson (DE-220)) 」に撃沈された。 「U-843 (U-843) 」は1944年2月18日に出航し、同年6月11日にジャカルタへ到着するまでにイギリスの貨物船「ネブラスカ」(Nebraska、8,300トン)を撃沈した。 「U-490 (U-490) 」は1944年5月6日、補給物資、予備の部品や電子機器を積載し、給油艦としての艤装で出航した。1944年6月12日、護衛空母「クロアタン」の艦載機による攻撃を受けて撃沈された。 「U-860」は1944年4月11日に出航し、6月15日に南大西洋で護衛空母「ソロモンズ」の艦載機による攻撃を受けて撃沈された。 「伊29」は1944年4月16日にエニグマ暗号機10セットとドイツ製の最新のレーダーを積んで出航し、同年7月26日にアメリカ海軍の潜水艦「ソーフィッシュ」の雷撃を受けて撃沈された。 「U-537 (U-537) 」は1944年3月25日に出航し、8月2日にジャカルタに入港した。 「U-181」は1944年3月16日に出航し、同年8月8日にペナンへ到着するまでにイギリスの貨物船「タンダ」(Tanda、7100トン)およびオランダの貨物船「ガレート」(Garoet、7,100トン)の他、イギリスの貨物船「ジャネータ」(Janeta、5,300トン)と「キング・フレデリック」(King Frederick、5,300トン)を撃沈した。 「U-196 (U-196) 」は1944年3月16日に出航し、同年8月10日にペナンへ到着するまでにイギリスの貨物船「シャーザダ」(Shahzada、5,500トン)を撃沈した。 「U-198 (U-198) 」は1944年4月20日に出航し、インド洋で8月12日、イギリス海軍の護衛空母「シャー」および「ベガム」を基幹とするハンター・キラー・グループの攻撃を受けて沈没した。沈没以前にこの艦は、南アフリカの貨物船「コロンバイン」(Columbine、3,300トン)、イギリスの貨物船「ダイレクター」(Director、5,100トン)、「エンパイア・シティ」(7,300トン)と「エンパイア・デイ」(Empire Day、7,200トン)を撃沈した。 「U-180 (U-180) 」は1944年8月20日、給油艦としての艤装で出航する際、機雷に触れて沈没した。 「U-862」は1944年6月3日に出航し、9月9日にペナンへ到着するまでに5隻の船舶を撃沈した。 「U-861」は1944年4月20日に出航し、同年9月9日にペナンへ到着するまでにブラジルの兵員輸送船「ヴィタル・デ・オリヴェイラ(ポルトガル語版)」(Vital de Oliveira、1,700トン)、アメリカのリバティー船「ウィリアム・ガストン」(William Gaston、7,200トン)、イギリスの貨物船「ベリックシャー」(Berwickshire、7,500トン)とギリシャの貨物船「トアニス・ファファリオス」(Toannis Fafalios)を撃沈している。 「U-859 (U-859) 」は1944年4月4日に水銀を積載して出航し、9月23日にイギリス海軍の潜水艦「トレンチャント」の攻撃で撃沈されるまでに、パナマの貨物船「コリン」(Collin、6,300トン)、アメリカのリバティー船「ジョン・ベリー(英語版)」(John Berry、7,200トン)およびイギリスの貨物船「トロイラス」(Troilus、7,400トン)を撃沈した。 「U-871」は1944年8月31日に出航し、9月26日にイギリス空軍のB-17による攻撃を受けて撃沈された。 「U-863」は1944年7月26日に出航し、9月29日にアメリカ海軍のPB4Yによる攻撃を受けて撃沈された。 「U-219」は輸送用の艤装で1944年8月23日に出航し、12月11日にジャカルタへ到着した。 「U-195」は給油艦としての艤装を受けて1944年8月20日に出航し、12月28日にジャカルタへ到着した。 「U-864 (U-864) 」は水銀、Me 163およびMe 262の設計図を積載し、1945年2月5日に出航したが2月9日、イギリス海軍の潜水艦「ヴェンチュラー (HMS Venturer (P68)) 」の雷撃を受けて撃沈された。 「U-234 (U-234) 」は輸送用の艤装で鉛74トン、水銀26トン、鋼12トン、光学ガラス7トン、航空機の設計図および部品43トン、酸化ウラン (Uranium oxide) 560 kgを積載し、1945年4月1日に出航したが終戦とともにポーツマス海軍造船所で降伏した。
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