第三次印パ戦争とは? わかりやすく解説

第三次印パ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/30 15:37 UTC 版)

第三次印パ戦争(だいさんじいんぱせんそう、ヒンディー語: १९७१ का भारत-पाक युद्धウルドゥー語: پاک بھارت جنگ 1971ء‎、ベンガル語: ভারত–পাকিস্তান যুদ্ধ ১৯৭১)は、1971年12月3日から同年12月17日にかけて勃発したインドパキスタンの国家間の戦争である。同年3月にパキスタン内部で東パキスタン独立戦争が勃発し、同地域から多くの難民がインドへ避難していった事で印巴両国の対立が激化し緊張が高まった。また同年8月にインドがソビエト連邦(ソ連)と軍事同盟である印ソ平和友好協力条約を締結した事も対立の激化につながり、インドは対パキスタン強硬政策を採った。そして同年11月21日にはインド軍が東パキスタン西部の街ジョソール付近に展開。11月23日にパキスタンは全土に非常事態宣言を発出し、12月3日にはインドも非常事態宣言を出して国家総動員体制に移行。両国は全面戦争に突入した。東パキスタンでは開戦1日目でインド空軍制空権を奪取し、地上ではインド軍25万人が国境を越えて東パキスタンに侵攻。同地域の主都ダッカに迫った。そして12月16日、同地域に駐留していたパキスタン軍無条件降伏し、西部のカシミール地域でも12月17日午後8時にインド側が一方的に停戦を宣言し、パキスタン側がそれに応じた事で、この戦争は終結した。なお戦時中にインドはパキスタンからの独立英語版を宣言したバングラデシュ承認し、インド側の勝利によって同国は独立を果たした。そして戦後にはインドは南アジアで軍事的に不動の地位を確保するに至った。その後、1972年7月にはインドのシムラーインドの首相インディラ・ガンディーパキスタンの首相ズルフィカール・アリー・ブットーシムラー協定を締結し、戦後処理を行った[3]




「第三次印パ戦争」の続きの解説一覧

第三次印パ戦争(1971年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 00:02 UTC 版)

作戦行動中行方不明」の記事における「第三次印パ戦争(1971年)」の解説

第三次印パ戦争(1971年)において、インドの第15パンジャブ連隊英語版)の2個中隊が1971年12月3日の1835時間パキスタン軍の4個旅団攻撃された。4,000人ほどのパキスタン兵が、戦車15両と砲撃兵の激し援護により、インド側を攻撃したMajor Waraich, Major Singh's and Major Kanwaljit Sandhuを含むインド司令官重傷負ったMajor SPS Waraichは捕虜になった報じられ戦隊多くの兵とジュニアコミッションオフィサー(英語版)が不意を付かれバンカー避難する時間がなかった。ウルドゥー語で、パキスタンラジオニュースが「Maj Waraich hamari hiraasat mein hain (Maj Waraichは我々が勾留している)」とテレビで報じた続いてカイバル・パクトゥンクワ州収容所にいると報じられた。現在の状態不明である。彼らは、1975年カラチから父親に「健在である」と述べた手紙書いたMaj Ashok Suriを含む52と共にインド政府によって行方不明兵として記載されている。パキスタンは、行方不明兵拘束否定している。

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第三次印パ戦争(1971年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 01:45 UTC 版)

印パ戦争」の記事における「第三次印パ戦争(1971年)」の解説

詳細は「第三次印パ戦争」を参照 ベンガル地方ムスリムによって構成され東パキスタンは、政治実権全て西パキスタン現在のパキスタン)に握られており、植民地様相呈していた。また1970年サイクロンによって東パキスタン国土の殆どが水没30 - 50万人上る死者出し西パキスタン位置していた中央政府怠慢に市民憤った。 そこで西パキスタンからの独立運動広がったが、その独立阻止するべく、パキスタン軍制圧開始した。すると東パキスタンから多く難民発生しインド流れ込んだ。しかし当時貧しインド大量難民抱えるだけの力はなく、インド東パキスタン独立のため介入し1971年3度目の対パキスタン全面戦争となった。これを第三次印パ戦争という。インド圧倒的な人員戦争有利に進め主戦線から遠いパキスタン敗北した東パキスタン1971年12月バングラデシュとして独立し翌年7月には(西)パキスタンもそれを承認した

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