秀吉在世時における「取次」の例とは? わかりやすく解説

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秀吉在世時における「取次」の例

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 20:53 UTC 版)

取次 (豊臣政権)」の記事における「秀吉在世時における「取次」の例」の解説

1582年天正10年5月高松城対陣備中高松城の戦い以降中国地方への取次として黒田孝高蜂須賀正勝取次の任にあたり中国国分交渉行って毛利氏服属促進させた。1585年天正13年)には紀州攻めにおいて同年3月予定していた雑賀攻め出陣命令両者伝えている。同年8月には四国攻め降伏した伊予諸城両名一度接収した後に領主となった小早川隆景への引き渡し行っている。この後正勝四国取次となり、孝高は1591年天正19年)ごろ失脚して中国取次としての動き見られなくなった関ヶ原の戦いにおける毛利家分裂は、同時に黒田蜂須賀-吉川ライン石田-安国寺ライン対立でもあった。取次内容について戦国的であり、豊臣政権取次とは異なるとの批判がある。 1582年天正10年)から1585年天正13年)の豊臣秀長大和入国まで、伊藤掃部助大和領主である筒井順慶・定次取次であったとされる。ただし史料的に「取次」と記録され文献資料はない。 1585年天正13年)に秀吉関白となった頃から毛利氏に対して豊臣秀長取次役割果たしていたといわれる1586年天正14年9月家康服属前に上杉景勝関東以北取次が命ぜられた。 1586年天正14年11月徳川家康秀吉臣従し、上杉相談の上関東方面取次が命ぜられた(ただし取次との史料なし)。その後北条伊達など関東以北大名への働きかけ家康中心となり上杉関与減っていった。 その他、家康の他にも富田一白津田盛月施薬院全宗和久宗是らが取次として働いたが、家康同様に伊達政策等で宥和的態度取っており、石田三成増田長盛などの強硬派対立した。特に富田津田小田原征伐による決裂により失脚した1586年天正14年)、前田利家南部信直取次となり、服属促進させた。後に取次浅野長政となる。 1587年天正15年)に比定される6月文書では毛利輝元備中代わりに豊前筑前筑後肥後の四カ国を与えられ九州取次となる構想秀吉から示されたが実現せず小早川隆景伊予から筑前転封されるに留まった。 1587年天正15年)に九州征伐終わり島津義久服属すると石田三成細川藤孝取次となった島津義弘豊臣政権軍役応じない家臣状況三成訴え恫喝交えた催促三成より引き出して戦国分権状態から近世的な集権強化利用している三成家臣安宅秀安もたびたび島津に対して政策指導行い政権へ動員等の対応を促進させている。 1590年天正18年)、北条滅亡後蒲生氏郷奥州方面取次位置づけられたと考えられ、また1593年文禄2年)まで増田長盛下野常陸安房大名への取次となった統一過程担当した大々名による取次移行し東国取次浅野長政九州取次寺沢広高佐竹島津氏取次石田三成等による秀吉側近による政権統合後大名統制体制整った小西行長宗義智文禄・慶長の役北九州与力諸将率いたことから、これらの取次であるといわれている。しかし、単なる縁戚関係現地軍事指揮だけでは取次とは言えないとの指摘がある。 1592年文禄元年)に文禄の役が始まることから、九州大名出兵大名に対して寺沢広高取次働きをしており、秀吉から命令九州朝鮮大名取り次いでいる。他にも兵站命令島井宗室神屋宗湛などの商人伝えることもあった。また、秀吉死後五大老からの撤退命令朝鮮所掌取り次いだのも広高であり、長崎奉行兼任していたため豊臣政権末期において九州統治枢要存在した1593年文禄2年11月甲斐を宛われた浅野長政幸長伊達氏南部氏らを与力として服属させ、取次任された。 1596年文禄5年伊達政宗取次であった浅野長政に対して数々の対応不満を理由絶縁状送りつけ、取次関係を大名側から破棄した

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