神戸事件とは? わかりやすく解説

こうべ‐じけん〔かうべ‐〕【神戸事件】


神戸事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/27 01:30 UTC 版)

神戸事件(こうべじけん)は、慶応4年1月11日1868年2月4日)に神戸(現・神戸市三宮神社前において備前藩(現・岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させ、銃撃戦に発展し、居留地(現・旧居留地)予定地を検分中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた事件である。備前事件とも呼ばれる[1]明治政府初の外交問題となった。




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神戸事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 14:01 UTC 版)

津田弘道」の記事における「神戸事件」の解説

詳細は「神戸事件」を参照 事件戊辰戦争只中慶応4年1月11日1868年2月4日)に起こった鳥羽・伏見の戦い1週間後のことである。家老日置帯刀率い岡山藩武装藩兵が、新政府要請により摂津西宮警備をするため西国街道東上していた。兵庫開港にともない三宮から元町周辺外国人居留地となっていた。大砲方を含む総勢数百名余の隊列が、道幅広くない三宮神社付近通りかかった時、フランス人水兵数名が列を横切ろうとし、これを制止しようとする藩兵との間で小競り合いになった騒ぎ隣接する居留地予定地を実況検分していた欧米諸国公使たちに銃口を向け、数回にわたり一斉射撃加えという事態に発展生田川河原で藩兵と米英仏兵との銃撃戦となったが、幸い死者はなく数名軽傷者で騒ぎ収まった西欧列強岡山藩行為諸外国対す敵対行為とみなし、神戸沖の諸藩の船6隻を拿捕し外国人居留地占領した。神戸事件は明治新政権となって初めての外交事件だった。交渉先立って朝廷は、「開国和親」を宣言した上で明治新政府への政権移譲諸外国に対して初め表明した外交方(探索改め)の弘道家老日置代人として、国元岡山藩への連絡や、岩倉具視新政府当路の者に事件解決方を願って奔走した事件の顛末は、国際法万国公法」を基に、長州藩士伊藤俊輔(のちの博文)、弘道らの尽力により、岡山藩諸外国側の要求受け入れ永福寺において列強外交官列席のもとで砲兵隊長の滝善三郎切腹させると同時に部隊率いた岡山藩家老日置謹慎課す、という諸外国譲歩した内容であった事件攘夷派岡山藩としては許し難いことで、避けられなかったかもしれない。瀧の切腹食い止めることができなかった弘道は、挫折感打ちのめされ総髪惣髪をもって自責の意を表した

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神戸事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:56 UTC 版)

BTS (音楽グループ)」の記事における「神戸事件」の解説

2015年12月27日、「BTS LIVE <花様年華 on stage> ~Japan Edition~」神戸公演リハーサル中にSUGAとVがめまいを訴え病院検査受けた結果大きな異常こそなかったものの、安静にする必要がある診断された。Big Hit Entertainment2人欠いた状態で完璧なコンサートできないとし、開場後27日午後当日翌日予定されていた2日間の神戸公演中止Twitterにて朝鮮語発表会場内では混乱生じた公演開始時刻になって残りの5人がステージにあがり、3曲のみを披露して公演終了となった28日メンバー全員韓国帰国また、所属事務所二人体調に異常がないことを発表29日、VがTwitterで「心配しないでオッパスーパーマン」と自身体調回復した旨をファン伝えSUGATwitter謝罪文投稿。またSUGA2016年1月10日、公式ファンカフェに長文日記公開し休暇中にも一度神戸ワールド記念ホール訪れファンに対して申し訳なく感じているとその心中綴った。これは海外ファン意識して平易な文体書かれていた。この件は、日本公演であるにも関わらず所属事務所最初に出した声明朝鮮語であったこと、開場後中止発表あまりにも遅かったこと、翌日のVのツイート謝罪言葉がなく誠意感じられなかったこと、翌々日にはSUGAとVが予定通り韓国イベント参加したことなど、対応の不十分さ理不尽さから、ファンひんしゅくを買い、不満が続出することとなった

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神戸事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:40 UTC 版)

幕末の外国人襲撃・殺害事件」の記事における「神戸事件」の解説

詳細は「神戸事件」を参照 鳥羽・伏見の戦いから日も過ぎない慶応4年1月11日1868年2月4日)、神戸現・神戸市)三宮神社前において備前藩(現・岡山県)兵が隊列横切ったフランス人水兵らを負傷させたうえ、居留地(現・旧居留地予定地を検分中の欧米諸国公使らに平射撃を加えた明治政府初の外交問題となった。この事件により、一時外国軍神戸中心部占拠するに至るなどの動きにまで発展したが、その際問題起こした隊の責任者であった滝善三郎切腹する事で一応の解決見た

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