哲学館事件とは? わかりやすく解説

哲学館事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/25 18:20 UTC 版)

哲学館事件(てつがくかんじけん)とは1902年(明治35年)[1][2][3]に私立哲学館(現在の東洋大学)で発生した事件である。哲学館の卒業試験における倫理学の設問に端を発した同校講師・中島徳蔵文部省視学官の論争[4]国体に反するとして問題視され、文部大臣菊池大麓が哲学館主の井上円了に対し、卒業生の教員無試験検定許可を自今取り消すと命令したことから、文部省による学問弾圧として早慶など他大学も哲学館を擁護する論陣を張り、一大社会問題となった[4][5]


注釈

  1. ^ 哲学館からは既に1902年7月に修身科と漢文科から卒業生が誕生している。
  2. ^ 「ムーアヘッド」・「ムイアヘッド」・「ミュィアヘッド」・「ミューアヘッド」読み有り。松本清張・著『小説東京帝国大学』では「ムイアヘッド」。
  3. ^ 視学官の隈本有尚は「教授法を改正すれば認可を取消すにも及ぶまいといふ考」えだったと述べている(『読売新聞』明治36年1月29日)。
  4. ^ 新聞での扱いは同時期に起きた教科書疑獄事件よりはやや小さかった。

出典

  1. ^ a b c Play Back > 2013年度 > 円了の不在の間に哲学館を襲った大事件”. 東洋大学報web. 東洋大学. 2017年10月13日閲覧。
  2. ^ 創立・者井上円了、その人となり:episode1>人災”. 東洋大学創立125周年記念. 東洋大学. 2017年10月13日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 哲学館事件”. 東洋大学について. 東洋大学. 2018年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月13日閲覧。
  4. ^ a b c 大島正徳の生涯と思想菊川忠夫、神奈川工科大学研究紀要、1984年
  5. ^ なぜ加藤弘之の原稿が東洋大学で発見されたのか―中島徳蔵と哲学館事件―竹中久留美、『国際井上円了研究』9(2021): 85–103
  6. ^ 『早稲田大学百年史』 第一巻、915-916ページ。
  7. ^ 『東洋大学百年史』 通史編Ⅰ、306ページ
  8. ^ 『官報』 第五八三七号(明治35年12月16日)
  9. ^ 『東洋大学百年史』 資料編Ⅰ・下、511-512ページ
  10. ^ 「『哲学館事件』文献年表」『井上円了センター年報17号』 三浦節夫・編、東洋大学井上円了記念学術センター、2008-09-20、pp154-93。
  11. ^ 『ショートヒストリー 東洋大学』102-108ページ


「哲学館事件」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「哲学館事件」の関連用語

哲学館事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



哲学館事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの哲学館事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS