砲装型防空艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 08:21 UTC 版)
1903年のライトフライヤー号の初飛行以降、各国は有人動力飛行機の軍事利用の研究に邁進し、1914年に勃発した第一次世界大戦では早くも大規模に実戦投入されることとなった。当時の航空機はまだ性能が低く、対艦攻撃力として期待しうるものではなかったものの、気球などの軽航空機も含めて、偵察手段としては有望視されていたことから、艦艇側もすばやく反応し、これを撃攘するための対空兵器を装備するようになっていった。しかし1920年代末頃までは、航空機の性能・武器・戦術等の黎明期にあたり、艦隊にとっての深刻な脅威とは受け止められておらず、従って本格的な航空攻撃対処能力も求められなかった。 第二次世界大戦直前の時点でも、航空機による対艦攻撃はまだ単機ないし少数機による散発的なものに留まっており、多数機による組織的なものには至っていなかった。しかし艦上機部隊は複葉機から単葉機へと転換しつつあり、また日米英海軍の洋上航空兵力も増強の一途を辿っていた。このことから、各国海軍では経空脅威の増大を次第に意識するようになり、各艦の自衛防空能力の強化を図っていった。イギリス海軍のダイドー級、アメリカ海軍のアトランタ級といった大型の防空用軽巡洋艦や、大日本帝国海軍の秋月型駆逐艦のように防空に特化した艦艇も建造されたものの、水上艦艇全体からすると特殊例にとどまっていた。 大戦中、経空脅威は極めて急激に増大し、これに対抗するため、各国軍艦の甲板上には各種機銃や高角砲が次々に増備されていった。しかしこれらは臨時装備であるために非効率な部分が多く、また特に対空戦闘時に給弾通路や砲側に極めて多数の弾薬火薬が存在することになることから、ダメージコントロールの面からは大きな弱点ともなった。この面からは、フランス海軍が大戦後に竣工させた「ド・グラース」や「コルベール」のように、防空型に特化した単能艦の整備が望まれた。またレーダーや通信機などの技術進歩やCICコンセプトなどの指揮統制能力強化を背景として、組織的な対艦攻撃に対応するため、艦隊防空の組織化も図られた。 しかし大戦末期には、米英海軍以外の強力な海上航空兵力が消滅し、洋上での大規模航空攻撃の蓋然性が低くなっていた。また軍艦という兵器は耐用年数が長いため、過度の特殊化を図るよりは、ある程度バランスの取れた汎用性を備えることが望ましかった。この結果、大戦終結時点で実際に連合国が保有していた水上戦闘艦のほとんどは、対空・対潜・対水上の戦闘能力のバランスが取れたタイプとなり、防空特化型の単能艦は少数派であった。 大戦後のアメリカ海軍では、アトランタ級で搭載していた38口径12.7cm砲よりも長射程で発射速度も高い54口径127mm単装速射砲(Mk.42 5インチ砲)を装備化し、これを搭載した防空巡洋艦も検討された。しかし主にコストパフォーマンスの観点から、議会はその建造を拒否し、防空艦としては、同砲を搭載したミッチャー級やファラガット級といった大型駆逐艦(DL)が建造されることになった。 アメリカ海軍アトランタ級軽巡洋艦 ウースター級軽巡洋艦 イギリス海軍コヴェントリー級巡洋艦 ダイドー級軽巡洋艦 タイガー級防空巡洋艦 フランス海軍「ド・グラース」 「コルベール」 大日本帝国海軍秋月型駆逐艦
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