独立と会社合併
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TX40型ガソリントラック東京モーターショー2015展示車 1929年(昭和4年)5月 - 株式会社東京石川島造船所の自動車部門が、株式会社石川島自動車製作所として独立。 1933年(昭和8年)3月 - 石川島自動車製作所が、ダット自動車製造株式会社を合併して自動車工業株式会社となる。1931年(昭和6年)からダット自動車を支援していた戸畑鋳物の鮎川義介は、自動車工業(株)成立後、旧ダット自動車大阪工場を譲受して「自動車製造株式会社」を設立。小型車部門の技術・設計と技術者移籍、商標「ダットサン」の譲受を自動車工業(株)に懇請、自動車工業(株)も小型車開発は設立目的の対象外であったためこれを承諾。自動車製造(株)は1934年に日産自動車に改名した。複雑な関係であるが、実質的にはダット自動車のトラック・バス製造部門が石川島自動車製造所に合流した形となる。 自動車工業(株)初代社長となった加納友之介は、自動車用高速ディーゼルエンジンが当時世界的にも市販化に到達したばかりの新技術であることに着目し、自動車技術が遅れていた日本でも国際水準に早期到達できる分野と見込んで研究開発を指示。後年にまで至る「ディーゼルエンジンのいすゞ」の布石を作った。 3月 - 「商工省標準形式自動車」を完成。詳細は「いすゞ・TX#1945年以前のTX」を参照。 1934年(昭和9年)「商工省標準形式自動車」を、伊勢神宮の五十鈴川にちなみ「いすゞ」と命名。現社名の由来となる。 7月 - 自動車工業株式会社、鶴見工場(旧・鶴見製造所)を開所。 1936年(昭和11年)3月 - 国産初の空冷式ディーゼルエンジンとなるDA4型、DA6型を完成。 1937年(昭和12年)4月9日 - 東京瓦斯電気工業株式会社(瓦斯電)と合併して東京自動車工業株式会社となる。いすゞ自動車ではこの日を創立記念日と定めている。 1938年(昭和13年)3月 - 多摩川河口付近の川崎大師河原の川崎市下殿町(現・川崎市川崎区殿町3丁目)に、川崎工場(旧・川崎製造所)が完成。この土地はもともと瓦斯電の工場建設予定地であった。 7月 - 川崎工場(旧・川崎製造所)が操業開始。 8月 - 川崎製造所での生産第1号車として、TX40型トラックが完成。 1940年(昭和15年)12月 - 社歌を制定。 1941年(昭和16年)4月 - ヂーゼル自動車工業株式会社に商号変更。 1942年(昭和17年)5月 - ヂーゼル自動車工業から日野製造所を分離し、日野重工業株式会社(現在の日野自動車)を設立。このため、いすゞ自動車と日野自動車は同門企業に当たる。日野自動車は旧瓦斯電系の技術陣が基幹であったことから、石川島を源流とするいすゞと異なり、瓦斯電を発祥としている。 1944年(昭和19年)3月 - 本社を東京都品川区東品川から品川区南大井へ移転。 1945年(昭和20年)3月 - 疎開工場として現在の長野県佐久市岩村田に長野工場を建設。 10月 - TX40型ガソリントラックの生産を再開。 1946年(昭和21年)11月 - TX80型ガソリントラックを完成、戦後の産業復興を支える。 1947年(昭和22年)10月 - TX61型ディーゼルトラックを完成。 1948年(昭和23年)1月 - BX91型ディーゼルバスを完成。
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