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日産自動車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/04 00:53 UTC 版)
| 種類 | 株式会社 | ||||
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| 市場情報 |
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| 略称 | 日産 | ||||
| 本社所在地 | 〒220-8686 グローバル本社 横浜市西区高島一丁目1番1号 |
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| 本店所在地 | 〒220-8623 横浜市神奈川区宝町2番地 |
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| 設立 | 1911年(快進社自働車工場として) 自動車製造(株)の設立は、1933年12月26日 |
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| 業種 | 輸送用機器 | ||||
| 事業内容 | 自動車(車種一覧を参照) | ||||
| 代表者 | 代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者 カルロス・ゴーン 代表取締役兼最高執行責任者 志賀俊之 |
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| 資本金 | 6,058億13百万円 (2009年3月31日現在) |
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| 売上高 | 単独:3兆0533億12百万円 連結:8兆4,370億40百万円 (2009年3月期) |
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| 営業利益 | 単独:△2299億35百万円 連結:△1,379億21百万円 (2009年3月期) |
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| 純利益 | 単独:△73億85百万円 連結:△2,337億09百万円 (2009年3月期) |
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| 純資産 | 単独:1兆6,355億45百万円 連結:2兆9,260億53百万円 (2009年3月31日現在) |
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| 総資産 | 単独:3兆9,672億94百万円 連結:10兆2395億 (2009年3月31日現在) |
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| 従業員数 | 単独:30,389人 連結:15万5,659人 (2009年3月31日現在) |
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| 決算期 | 3月末日 | ||||
| 主要株主 | |||||
| 主要子会社 | 日産車体、ジヤトコ | ||||
| 関係する人物 | 鮎川義介、川又克二、石原俊 | ||||
| 外部リンク | www.nissan.co.jp(日本) www.nissan-global.com(Global) |
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日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ、英称:Nissan Motor Co., Ltd. )は、神奈川県横浜市に本社を置く自動車メーカーである。日本のビッグスリーの一角で、フランスのルノーと資本提携を結ぶ。通称とブランド名は「日産 (NISSAN) 」。日本国外の一部では、高級車ブランドである「インフィニティ (INFINITI) 」も展開する。
目次 |
概要
日産自動車は、日本の大手自動車メーカーである。芙蓉グループ(旧富士銀行系列)に属する東証一部上場企業であり、現在はフランスの自動車製造大手ルノーとアライアンスを結んでいるが、事実上同社の傘下に入っている。
日産自動車の関連会社には、委託製造会社である日産車体、モータースポーツ専門のニスモなどがある。また、国外では「インフィニティ」ブランドでの展開も行なっている他、親会社のルノーの車種を「日産」ブランドで販売している。
現在親会社のルノーから派遣されたレバノン系ブラジル人(フランスとの2重国籍)のカルロス・ゴーンが代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)を務める。なお、ゴーンは2005年4月より親会社のルノーの取締役会長兼CEO (PDG) も兼任している。現在、日産自動車の経営はゴーンCEOの指揮の下で日産出身の志賀俊之が最高執行責任者(COO)を務めている。
日産自動車の2010暦年のグローバル販売台数及び、グローバル生産台数は共に400万台を超え、国内自動車メーカーとしてはトヨタ自動車に次いで2番目に400万台の大台を突破した[1]。
歴史
創業 - 1970年代
第二次世界大戦前は日産コンツェルンの一員であった。「日産」という名称は、当時グループの持株会社であった日本産業が由来となっている。
創業期より先進技術の吸収に積極的で、日産自動車はフォード、GMなみの大型乗用車を製造するため、1936年に米国グラハムページ自動車会社から設計図や設備などを購入し、また戦時中の技術的空白を埋めるため1952年オースチンと技術提携している。
1958年には、当時は世界で最も過酷な豪州ラリーに自社開発のダットサン210型が出場して見事にクラス優勝を飾り、1960年には業界初のデミング賞を受賞するなど、創業時より技術力の高さから「旗は日の丸、車はダットサン」「技術の日産」として親しまれ、故障が少なく高速走行を得意としたことで医者の往診に愛用されたことから「医者のダットサン」としても親しまれた。
1966年8月1日には、経営難に陥ったプリンス自動車工業株式会社と通産省主導により合併。名車スカイライン、グロリアなどの車種と、中島飛行機・立川飛行機の流れを汲む優秀な人材を戦列に加えた。またプリンス自動車工業の宇宙開発事業を承継し宇宙航空事業部を発足させた。
1973年の米国環境庁 (EPA) の燃費テストでサニーは第1位となり、この間、燃費向上のための高張力鋼板およびボディの防錆性の向上のための亜鉛ニッケルメッキ合金を用いた防錆鋼板(同社では「デュラスチール」と命名)、エンジンの燃焼制御技術の開発からCAD/CAM、産業用ロボットの開発まで、「技術の日産」として先端技術分野の先駆的役割を果たしてきた。
しかし、その反面、戦時中に自動車の配給を独占していた「日本自動車配給会社」が戦後に解散となった際、日本国内各地の地元の有力ディーラーの大半がトヨタ自動車に組織化されてしまい販売面でハンディとなった事と、「技術の日産」と評される程の技術力の高さで技術面で優位を保っていた反面、販売面では「販売のトヨタ」と評される程の販売戦略で優位を保っていた業界トップのトヨタ自動車には及ばず、1970年代までは業界トップのトヨタ自動車に肉薄していた日産自動車の販売シェアも、特に1980年代以降、業界トップのトヨタ自動車との販売シェアの差がますます広がる一方となる。
901運動と経営危機
1980年代には「90年代までに技術世界一を目指す」という名の下、全車種を対象にエンジンをはじめ、シャシやサスペンションの設計目標と、走行実験におけるハンドリング評価基準の大幅な底上などに力を注いだ「901運動」がおこなわれており、日本車の技術向上に大きく貢献したことでは一定の評価を受けている。
詳細は「901運動」を参照
1980年代後半のバブル景気時代には、K10型マーチをベースにしたパイクカーの第一弾として限定10000台で発売され2ヶ月で予約完売となったBe-1や、当時日本唯一の3ナンバー専用の高級車であったY31型シーマや、洗練されたデートカーとして人気となったS13型シルビアなどをヒットさせ、「Be-1効果」や「シーマ現象」なる流行語まで生みだし、「901運動」のもとに開発されたR32型スカイラインなどのスポーツ系車種をはじめとしてP10型プリメーラなどのセダン系車種なども高い評価を得るなど存在感を示していた。しかし、「901運動」のもとに開発された車種がフルモデルチェンジの時期を迎えた1991年から1994年にかけて、U13型ブルーバード4ドアセダンSSS・EEX、Y32型レパードJフェリー、C34型ローレル、R33型スカイライン、S14型シルビア、B14型サニーなどが新型として次々とフルモデルチェンジされたものの、「901運動」のもとに開発され評価の高かった旧型とは一転して、フルモデルチェンジされた新型はデザインや商品面での評価が低い結果となってしまい、全体として販売不振に陥ってしまった。もともと、商品企画や販売戦略が不得意な上にヒット車種を数多く出せないことで財務内容はますます悪化の一途を辿り、「901運動」でコスト上昇を招いた走行実験部やデザイン部を中心としたリストラを断行してもなお1998年には約2兆円もの有利子負債を抱え経営危機に陥ってしまう。
その中でも、A32型セフィーロ、E50型エルグランド、K11型マーチなどがコンスタントに販売台数を記録して経営危機に陥っていた日産を支えていた。
その後、軽自動車市場の拡大を背景に、軽自動車を含めた国内シェアで、一時期ではあったがホンダの後塵を拝し、国内シェア第3位に転落してしまった時期があった。現在は、軽自動車販売のシェアがホンダと逆転したため、国内シェア第2位に返り咲いている。
ルノー傘下へ
継続的な販売不振により、2兆円あまりの有利子債務を抱え倒産寸前の経営状態となった1999年3月に、フランスの自動車メーカーのルノーとの資本提携(後述「ルノー=日産アライアンス」)を結び、更生を図ることとなった。当初は両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさや労働組合の抵抗などを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行き先を危惧した。
同年中に日本人社長の塙義一は解任され、ルノーの取締役会長兼CEO (PDG) であったルイ・シュヴァイツァーの指示より同社副社長のカルロス・ゴーンが新たな最高経営責任者に就任した。ゴーンらのチームは、同年10月に発表した「日産リバイバルプラン(NRP)」のもとリストラを進めた。
ルノーから資金や人員が注入されると同時に、東京都武蔵村山市にあった日産自動車村山工場や、京都府宇治市の日産車体京都工場などの生産拠点の閉鎖、資産の売却や人員の削減とともに、子会社の統廃合や取引先の統合、原材料の仕入の見直しなどによってコストを削減した。またこれに先立って外国企業の影響を避けるため、宇宙航空事業部が石川島播磨重工業に売却され、IHIエアロスペースが設立された。
更に、車種ラインアップの整理と同時にデザインなどを刷新し、積極的な新車投入を行った結果、販売台数は増加した。国内シェアでは第2位の座を奪回し、2003年6月には負債を完済した。
ルノー=日産アライアンス
2006年5月現在、ルノーは日産株の44パーセントを所有し日産を連結子会社としているが、日産もルノー株全体の15パーセントを所有しており一部持合となっている。なおフランスの法律によって日産の保有するルノー株は日産が保有する間は議決権が行使できない。資本関係上は日産がルノーの連結子会社となる。ルノーからは多くが日産の役員として送り込まれているほか、多くの管理職クラスの人員も送り込まれているが、ルノーに日産出身の役員は皆無であった(2008年にルノーに日産から副社長が送り込まれている)。株式資本の総額は子会社の日産本体のほうが多く「日産に投資するより、親会社のルノー本体に投資するほうが利にかなう」逆転現象が起きている。
ビジネス上では、車台(プラットフォーム)やエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化や購買の共同化によってコストダウンを図っているほか、ルノーの車を日産ブランドで販売、日産車をルノーのブランドで販売するなどの相互のOEM供給も行っている。また、同じルノー傘下である韓国のルノーサムスンにおいてもこのアライアンスを生かし、自社はもちろん、ルノーや日産ブランドでの製造・輸出を行っている。2005年1月には、当時のルノー会長のルイ・シュヴァイツァーが、「2010年までに日産自動車とともに世界市場の10%のシェアを確保し、年間400万台の生産を達成する」という目標を掲げた。ルノーは傘下の日産を含めて、自社がフォルクスワーゲングループを上回る欧州最大の自動車メーカーであると述べている。
現在
ゴーンは日産自動車の建て直しの手腕が高く評価され、2005年4月からは親会社のルノーの取締役会長兼CEO (PDG) も兼任しており、現在はゴーンCEOの指揮の下、日産自動車生え抜きの志賀俊之が最高執行責任者(COO)を務める。しかしながら、日産自動車の3カ年経営計画「日産180」(全世界での売上台数を100万台増加させ、8%の営業利益率を達成し、自動車関連の実質有利子負債をなくす)における販売台数目標達成のために、計画終了(2005年9月30日)前に集中して新型車投入を行ったことによる、計画終了以降の国内やアメリカ市場における販売台数の低迷や、ゴーン体制後の次期経営トップ問題などを残したまま親会社に復帰することになった。
ゴーン体制のもと系列解体が進み、非日産系部品メーカーや日本国外メーカーからの部品仕入れを積極的に行ったが、近年は日立製作所と組んで部品メーカーの囲い込みに力を入れている。
2008年には、サブプライムローン問題に端を発した金融危機や原油高騰による不況の中、世界販売台数は0.9%増加し、アメリカでは自動車販売台数が18%減少の中、日産は10.9%減にとどまった。
2007年春に、企業誘致に熱心な横浜市の「横浜みなとみらい21(MM21)地区」66街区に本社社屋の建設を着工し、2009年8月2日に「横浜グローバル本社」として竣工した。2009年8月7日に、長らく本社のあった東京・東銀座から移転(登記簿上の本店は、横浜市神奈川区の横浜工場のまま)。当初は、2010年をめどに移転する予定であったが、2009年に横浜開港150周年を迎えるを機に1年前倒しとなった。この本社立地にあたり、神奈川県から施設整備等助成制度及び横浜市から企業立地等促進特定地域における支援措置を受けることができた。新社屋は建築家谷口吉生の設計。
なお、東京・東銀座の旧・本社社屋は、読売新聞東京本社が建て替えに伴う間の仮本社として2010年9月から2014年まで使用する予定となっている。
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- ^ http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110127-OYT1T01079.htm 「日産、ホンダ抜く…自動車世界販売台数」読売新聞 2011年1月28日
- ^ 自動車工業株式会社は東京瓦斯電気工業と合併し、東京自動車工業を経てヂーゼル自動車工業となる。その後、日野重工業(後の日野自動車)が分社、戦後ヂーゼル自動車工業はいすゞ自動車となる。
- ^ 東京自動車工業の設立は、商工省の意向による軍用保護自動車および商工省標準車いすゞの生産を主体としたものであり、ダットサンの如く小型車製造はその対象外であった。
- ^ 自動車製造株式会社は日産の源流であり、自動車工業株式会社と名前は似ているが別会社である。
- ^ 下記「車両形式」欄にあるC10型系スカイラインGT-Rのメーカーズプレートの写真を参照のこと
固有名詞の分類
- 【各国—その他】日産自動車、新型グローバルセダンのスケッチを公開 国際自動車ニュース国際自動車ニュース
- 日産自動車、塗装技術特許をNTTドコモにライセンス供与 知財情報局
- 日産自動車:2012年中国での自動車生産台数を90万台にChina Press
日産自動車に関連した本
- 自動車立国の挑戦 トップランナーのジレンマ 住商アビーム自動車総合研究所 英治出版
- 実践「日産生産方式」キーワード25―限りないお客さまへの同期を追求する 日刊工業新聞社
- 電気自動車の“なぜ”を科学する―だれもが抱く素朴な疑問にズバリ答える! 日産自動車 アーク出版
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- ★DVD/ドキュメンタリー/ザ・メッセージII ニッポンを変えた経営者たち カルロス・ゴーン 日産自動車/NSDS-15842サプライズ2
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