川崎大師とは? わかりやすく解説

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かわさき‐だいし〔かはさき‐〕【川崎大師】

読み方:かわさきだいし

川崎市にある真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺(へいけんじ)の通称開創大治年間(1126〜1131)、開山は尊賢、開基平間兼乗と伝える。厄除け大師として有名。

川崎大師の画像

かわさきだいし 【川崎大師】

平間寺

川崎大師

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

川崎大師

駅名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

平間寺

(川崎大師 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 15:10 UTC 版)

平間寺(へいけんじ)は、神奈川県川崎市川崎区にある、真言宗智山派大本山[注釈 1]1128年大治3年)建立[4]川崎大師(かわさきだいし)という通称で知られる[4]山号は金剛山。院号は金乗院(きんじょういん)。尊賢(そんけん)を開山、平間兼乗(ひらまかねのり)を開基とする[注釈 2][注釈 3]。2022年(令和4年)時点の貫首は第45世・中興第2世藤田隆乗が務める。


注釈

  1. ^ 多摩川下流六郷川の右岸に位置し、地名を大師河原といった。創建の頃、木像大師の出現した土地を世人が称した[3]
  2. ^ 尊賢は、京都の生まれ。新義真言宗の開祖興教大師と同学。弟の娘は中納言藤原長実に仕え、また美福門院の乳母であった。1128年(大治3年)4月、平間兼乗宅に宿泊した際、木像引き揚げの因縁を耳にし、一寺を創立するにいたった[5]
  3. ^ 源義家配下の武士平間兼豊、兼乗父子は、後三年の役に功のあった武勇の人であったが、讒訴にあい尾張にあった領地を失い諸州を流浪し漁業で生計を立てていた。兼豊没後、兼乗はなおも漁業を続けた。寺創建ののち、1134年長承3年)冤罪を晴らし、尾張の本領を回復した。帰任するに当り、与えられた俸禄の半分をさいて寺封として残した。『厄除大師平間寺縁起』(平間寺出版部、1934年、pp.2-4、pp.7-8)
  4. ^ 齢42歳のころであった。兼乗が漁をする海上に、夜な夜な光明を放つ場所があった。ある夜、兼乗の夢に一人の高僧が現れ、「私は日本国真言開宗の大師である。むかし大唐に暮らしていたとき、厄除けの自像を刻んで海中に流し、末代有縁の衆生を救おうという大誓願を起こした。今おまえは三宝を篤く信念している。だから、海上の光明があるあたりに投網して、その像を引き揚げて家に安置し、さらに信仰を怠らなければ、おまえの今の厄は速やかに消滅し、来世にはきっと兜率天に往生することだろう。おまえはこの像に宿縁があるのだ。ゆめゆめ疑ってはならない。」と告げた。夜明け前舟を出し、像を引き揚げた。『厄除大師平間寺縁起』(平間寺出版部、1934年、pp.4-6)
  5. ^ 新編武蔵風土記稿』(昌平坂学問所地理局、1830年)や『平間寺史』(平間寺出版部、1934年)には、(六郷筋への)御成にあたって御膳所(休憩所)となったとのみ記されている[1]
  6. ^ 尊賢上人は、平間寺を勅願寺に選んでもらおうと思い立ち上京。じきに美福門院に謁見を許された。美福門院はのちに近衛天皇となる皇子を出産したあと、鳥羽上皇に奏上しこれにより平間寺は勅願寺に列せられた。『厄除大師平間寺縁起』(平間寺出版部、1934年、pp.8-9)
  7. ^ 第33世隆範阿闍梨が貫首であった時に寺格を改め、醍醐三宝院宮の院家を兼帯して、菊桐の紋章を佩びることを許された。『厄除大師平間寺縁起』(平間寺出版部、1934年、pp.9-10)
  8. ^ 各没年は、『平間寺史』(平間寺出版部、1934年、pp.10-13)掲載の「法系相承」を参照。

出典

  1. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 川中島村 別当平間寺.
  2. ^ a b 川崎大師について”. 川崎大師平間寺. 2015年12月6日閲覧。
  3. ^ 『厄除大師平間寺縁起』(平間寺出版部、1934年、p.1、p.7)
  4. ^ a b c かわさき区の宝物シート 川崎大師平間寺” (PDF). 川崎区. 2015年12月6日閲覧。
  5. ^ 『厄除大師平間寺縁起』(平間寺出版部、1934年、p.7)
  6. ^ 『厄除大師平間寺縁起』(平間寺出版部、1934年、p.6)
  7. ^ NHK. “川崎大師の仲見世|地域|NHKアーカイブス”. 川崎大師の仲見世|地域|NHKアーカイブス. 2023年8月9日閲覧。
  8. ^ 初詣は「日本の伝統」じゃない! 実は、鉄道会社がつくり上げたものだった | Merkmal(メルクマール)”. Merkmal(メルクマール) | 交通・運輸・モビリティ産業の最新ビジネスニュース (2022年5月21日). 2022年10月31日閲覧。
  9. ^ 鉄道トリビア(286) 初詣の慣習は鉄道会社の集客競争がきっかけで広まった”. マイナビニュース (2015年1月10日). 2022年10月31日閲覧。
  10. ^ 初詣の成り立ちは鉄道のプロモーション?!初詣の意外な歴史に迫る!”. オマツリジャパン | あなたと祭りをつなげるメディア. 2022年10月31日閲覧。
  11. ^ おすすめ初詣スポット”. Shobunsha Publications, Inc.. 2013年11月20日閲覧。
  12. ^ ひらまくんプロフィール - 川崎大師公式サイト
  13. ^ 川崎大師で10年に1度の「大開帳」 - 日本経済新聞 (2014年5月1日)
  14. ^ 大開帳奉修|川崎大師”. 2024年5月2日閲覧。
  15. ^ “北の湖前理事長一周忌、10月2日に川崎大師で 三回忌には銅像建立も”. スポーツ報知. 報知新聞社. (2016年9月8日). https://web.archive.org/web/20160910140759/http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20160908-OHT1T50026.html 2016年11月4日閲覧。 
  16. ^ a b c d 『川崎市文化財調査集録』川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課、2022年3月31日、4-5頁。 
  17. ^ 『高津郷土史料集』川崎市立高津図書館、1970年3月31日、27‐29頁。 
  18. ^ 川崎大師平間寺ガイド!アクセス&駐車場情報・厄除け祈願の流れを解説!”. かなレポ川崎 (2024年1月31日). 2024年2月4日閲覧。


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