池玲子と杉本美樹のスカウト
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「温泉みみず芸者」の記事における「池玲子と杉本美樹のスカウト」の解説
"温泉芸者シリーズ"2作目の『温泉あんま芸者』から「自前(東映専属)のヌード女優を育成しろ」と岡田は指示していたが、もっとフレッシュな"脱げる女優"の発掘が急がれた。白羽の矢が立てられたのは大原麗子と大信田礼子だったのだが、二人はヌードを断固拒否し東映を離れ、テレビに進出した。東映は特に大信田に執着していた。そこへ現れた救世主が"第三のレイコ"こと池玲子だった。 岡田が天尾と鈴木を東映本社に呼び出し「温泉芸者をやれい。タイトルは『温泉たこつぼ芸者』や。ええな」と指示。岡田が「女優はどうするんだ?パンチのある子を探せよ」と伝えると天尾が「スケジュールもつまってるし、石井作品で使った脱げる子にしたいと思っています。鈴木クンもそうしようと..」と答えていると岡田が「鈴木、お前、ほんとにそれでええのか。新しい映画を作る気はないのか?」と鈴木に迫り、鈴木が咄嗟に「いや、新人で行きたいです」「大型新人で勝負したい」と啖呵を切ってしまい、新人をスカウトしなくてはならない羽目になった。 池のスカウト経緯については諸説あり、ロケハン先の喫茶店で天尾と鈴木が雑誌のグラビアで見つけた、週刊誌のグラビア(ヌード)で見つけた、雑誌にファッションモデルとして載っていた、六本木辺りの不良の溜まり場にたむろしていた、銀座のクラブホステスだったなどがあるが、製作年に近い文献では1971年12月28日の東京スポーツに「作家戸川昌子が経営する東京・青山のクラブ『青い部屋』で池と杉本が二人で飲んでいた。二人とも売れないモデル業に嫌気がさしてドロップアウトの最中。そこをアタックし出演OKにこぎつけた」、『近代映画』1972年3月号の記述もこれに似ており「前歴はフリーのヌードモデル。作家・戸川昌子が経営する東京・青山のクラブ『青い部屋』でボーイフレンドと飲んでいたところを、たまたま来ていた天尾完次プロデューサーがそのジャンボ級バストに一目惚れ。『ぜひやってみないか。あなたならスターになれる』と口説かれてポルノ女優の誕生となった」、『映画評論』1972年11月号には「鈴木が『温泉みみず芸者』の主演女優を探しに上京。時間切れで、明日京都へ帰らなければならないという夜、プロデューサーといらいらしながら酒を飲んでいる、と向こうのカウンターにほの白く浮かんだ女の顔があった。それがある日突然私の運命が変わった池玲子だった。かくして一人の女優が誕生」と書かれており、1971年5月に青山のスナックで遊んでいたなり、青山の飲食店で池を見つけたとするものが多い。『日本映画俳優全集 女優編』でも「青山のスナックで天尾と鈴木にスカウトされた」と書かれている。鈴木は2011年のインタビューで「青山のバーに池と杉本の二人が一緒にいた。一緒に飲みに行ったプロデューサーの天尾がこれを使おうと言った」、2014年の著書『下品こそ、この世の花』でも「天尾と飲んでいたらカウンターの向こうに若い女の顔が仄白く浮かんだ。もうあの子でいこうかと決めた」と話している。1990年の大下英治の著書『映画三国志 小説東映』の中で「天尾が池の経歴を100%創作した」という記述があり、藤木TDCは『映画秘宝』の連載で「青山のクラブ『青い部屋』でスカウトしたというシンデレラ物語は全てフィクション。天尾のイメージする新人が発見できず、男性週刊誌、二流の実話誌のグラビアに"ケイ真紀"や"真木圭子"という名で活動していたヌードモデルを東映が強力な政治力で池の過去を封印し、新人女優・"池玲子"として再生した」と指摘した。この指摘を受けてかどうかは不明だが、鈴木は2013年の著書『東映ゲリラ戦記』で「修善寺でロケハン中、書店で天尾と二人で若い娘のグラビアが掲載されたあらゆる週刊誌を読み漁り、そこでエリザベス・テイラーに似た池玲子を見つけた。すぐに東京へ戻って出版社で池を探し出した。天尾が妹役の杉本美樹も探して京都に二人を連れてきた。二人とも全くの素人。アルバイトでグラビアモデルをやってるが、どこの事務所にも所属していない。池はグラビアの名前はカメラマンが適当につくり、その度に名前が違っているという。天尾は、二人は友達関係で、青山にある戸川昌子の店で有名な『青い部屋』へ遊びに行っている時、天尾と鈴木に会い、女優にならないかとスカウトされた。面白そうだから一回ぐらいやってもいいっと思った、というストーリィを作った」などと述べている。 またポルノ女優になることを母親は賛成し「映画の仕事を始めてマジメになった」と話していたという文献と、母親は猛反対していたとする文献がある。杉本美樹は池と同時にスカウトされたとする文献が多いが、荒木一郎に湘南でナンパされた一人という説もある。池と杉本はいろんな事務所に出たり入ったりして、出演料を吊り上げたり、東映が管理できないため、天尾が友人の荒木なら大丈夫だろうと荒木の事務所(現代企画、社長は荒木)に預けた。荒木は「美樹は下着のモデルをやってて、東映でチョロチョロ出てたんだけどね。何かパッとしないけど、要するに身体が凄いのね。スタイルがいい。東映はとにかく女優を育てなきゃいけないっていう時期で、それで池と杉本をウチの事務所に預かったの」と述べている。二人を皮切りに東映専属のポルノ女優の大半は荒木がマネジメントを務めた。
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