青い部屋
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青い部屋(あおいへや)は1967年、シャンソン歌手で作家としても知られた戸川昌子が開店した[1]シャンソニエ[2][3][4]、シャンソン・バー[4][5][6]。2010年末に閉店した[1][5]。
- ^ a b “青い部屋とは?”. 青い部屋. 2019年2月19日閲覧。
- ^ a b “「銀巴里」の調べ“復活” 月曜の夜だけ戸川昌子さんの酒場で”. 朝日新聞・夕刊: p. 17. (1991年1月17日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b c “人生は夕方から楽しくなる:シャンソン歌手・戸川昌子さん”. 毎日新聞・東京夕刊: p. 3. (2009年11月14日) - 毎索にて閲覧
- ^ a b c d e f “戸川昌子さんのシャンソンバー 資金失い閉店危機”. 東京新聞・夕刊: p. 9. (2010年12月9日) - 中日新聞・東京新聞記事データベースにて閲覧
- ^ a b c d e f 伊藤甲治郎 (2011年6月8日). “戸川昌子さん「青い部屋」昨年閉店 歌声「月曜シャンソン」へ=東京”. 読売新聞・東京朝刊・都民: p. 31 - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ a b 明珍美紀 (2017年5月22日). “人模様:音楽で戸川昌子さん追悼 サエキけんぞうさん”. 毎日新聞・東京夕刊: p. 7 - 毎索にて閲覧
- ^ a b c d e f 宮崎陽介 (2000年11月19日). “聴いて、ヌーヴェル・シャンソン 戸川昌子の店「青い部屋」新装”. 毎日新聞・東京夕刊: p. 25 - 毎索にて閲覧
- ^ a b c “(Shot05)サブカル、刺激的に発信 渋谷「青い部屋」 シャンソン酒場様変わり”. 朝日新聞・夕刊: p. 17. (2005年5月6日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b c d “よみうり抄”. 読売新聞・夕刊: p. 7. (1967年12月13日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ a b 尾崎未央 (2002年8月21日). “[こだわり空間]「青い部屋」 戸川昌子さんが35年守る店”. 読売新聞・東京夕刊: p. 7 - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ a b c “[喫茶てんてん]青い部屋 土曜日の夜には戸川昌子も出演”. 読売新聞・朝刊: p. 25. (1968年10月6日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ a b 筒井康隆 (2009年9月20日). “(漂流 本から本へ:24)受験勉強する気になれず 筒井康隆”. 朝日新聞・朝刊: p. 11. "後年作家になってすぐの頃、戸川昌子のお姉さんの「青い部屋」という店で、五木寛之にズウデルマンの魅力を語ったところ、彼はその席へやってきた戸川さんに..." - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
青い部屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:03 UTC 版)
1965年に戸川の姉が開いた喫茶店を前身に、1967年、場所を現在の東京都渋谷に移転。形態を喫茶店から酒場へと変更する。その後、33年もの間シャンソニエサロンとして、三島由紀夫、なかにし礼、美輪明宏、川端康成などの文化人をはじめ政界・財界の名士達から愛された。2000年12月、内部の老朽化に伴いリニューアルオープン。若者がバンド演奏やダンスなどのパフォーマンスを行うライブハウスの要素を取り入れたシャンソンバーとして再出発する。毎週月曜には銀巴里の流れを受け継ぐ『月曜シャンソンコンサート』を開催した。 2010年に閉店。
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