なかにし‐れい【なかにし礼】
なかにし礼
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なかにし 礼(なかにし れい、本名:中西 禮三(なかにし れいぞう)、1938年〈昭和13年〉9月2日 - 2020年〈令和2年〉12月23日)は、日本の小説家、作詞家。
- ^ a b “中西康夫「父・なかにし礼は最期まで危険な香りのする人でした」(全5ページ)”. 婦人公論.jp (2021年6月20日). 2021年6月20日閲覧。
- ^ 『「家」の履歴書』 光進社、2001年 147-151頁
- ^ 『黄昏に歌え』なかにし礼:著/朝日新聞社:刊/1,800円+税 有隣堂Web版「有鄰」第450号、平成17年5月10日発行
- ^ 清水秀子(語)、高山文彦(文)「それからのわたし」飛鳥新社、2004年。
- ^ 「強要された衝撃の告白 なかにし礼氏が告訴 週刊誌記者2人を逮捕」『中國新聞』昭和46年8月24日 15面
- ^ “なかにし礼氏が食道がん告白、治療に専念へ「初期より少し進んだ状態」”. スポニチ Sponichi Annex. (2012年3月5日) 2012年3月5日閲覧。 “なかにし礼さん 番組で「がん」”. nikkansports.com. (2012年3月6日) 2012年3月6日閲覧。
- ^ “なかにし礼さん、がん再発し休養”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2015年3月6日). オリジナルの2015年3月7日時点におけるアーカイブ。 2015年3月7日閲覧。
- ^ “第24回 《2015年3月20日 ON AIR》”. アンファーPresents なかにし礼「明日への風」. 文化放送. 2015年3月26日閲覧。 “がん再発なかにし礼氏のラジオ明日への風一時休止へ”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2015年3月20日) 2015年3月26日閲覧。
- ^ “なかにし礼氏、突然死の恐怖消えた!体内にICD埋め込み”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年6月9日) 2016年6月9日閲覧。
- ^ “なかにし礼が82歳で死去、「北酒場」「時には娼婦のように」など約4000曲の作詞手がける”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2020年12月25日). 2020年12月25日閲覧。
- ^ “なかにし礼さん心筋梗塞死去 作詞家で作家 82歳”. 日刊スポーツ (2020年12月25日). 2020年12月25日閲覧。
- ^ “「僕たちの失敗」の森田童子の父親は、なんとあの人だった(高野 慎三) @gendai_biz”. 現代ビジネス. 2022年1月1日閲覧。
- ^ “堀氏は現在雲隠れしており、誰も連絡が取れない状態”. 文春オンライン (2023年). 2023年8月19日閲覧。
- ^ 昭和 忘れな歌〜なかにし礼アンソロジー〜 - CD Journal(2004年3月24日)
- ^ “TOKIOから美空ひばりまで!なかにし礼、作家生活50周年4枚組アルバム”. 音楽ナタリー (2015年11月10日). 2015年11月10日閲覧。
- ^ 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
- ^ 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
- ^ 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
- ^ 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
- 1 なかにし礼とは
- 2 なかにし礼の概要
- 3 著書
- 4 映画
- 5 外部リンク
なかにし礼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:11 UTC 版)
1977年、なかにし礼にアルバム製作を依頼し、なかにしが全曲作詞・作曲・歌唱したアルバム『マッチ箱の火事』がフォーライフから発売された。このアルバム中の「時には娼婦のように」が翌年、シングル・カットされ、なかにし歌唱の盤と黒沢年男の盤との競作となり、いづれも大ヒットした。歌詞が際どい内容で、黒沢も尻込みして嫌がる程であったが「賛同者は拓郎一人だけだった」となかにしは話している。本曲は、すべてのテレビで放送禁止扱いになるなど物議を醸した。
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