歴史叙述の六家とは? わかりやすく解説

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歴史叙述の六家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 13:58 UTC 版)

史通」の記事における「歴史叙述の六家」の解説

まず劉知幾は、冒頭の「六家」篇や「古今正史」篇で、過去歴史書を以下の六家分類しそれぞれの特徴とその源流論じている。 尚書家尚書』に始まる歴史書体裁。記言の書(発言記した書)であり、上古王者言葉史官記録したもの。王道正義号令としての語言託し、これを臣下布告した孔子編纂にかかる歴史叙述始祖で、疎通知道を旨とする書物少な過去においては価値があるが、現代史書としては不完全である。この類の書に『逸周書』や孔衍(中国語版)『漢尚書』、王劭『隋書』などがある。 春秋家春秋』に始まる歴史書体裁記事の書(出来事記した書)で、実際行事によって実証的規範説く元来魯国という一国歴史書に過ぎなかったが、孔子編纂経たことで規範的な歴史記述となったとする。『尚書』が一般法則を説くに対して、『春秋』は個別判例提示し孔子編纂にかかる属辞比事を旨とする。これにより時間系列による叙事形式編年体)が提供された。 左伝家 『春秋左氏伝』に始まる歴史書体裁。記言の書である『尚書』と記事の書である『春秋』の体裁組み合わせ、より充実した史体に改良した編年体形式基本しながら一貫した体例と個別事象対す評論備える。劉知幾これをもって「史道」が成立したとする。この類の書に荀悦漢紀』、孫盛魏氏春秋』、干宝晋紀』、王劭『北斉志』などがある。 国語家 『国語』に始まる歴史書体裁左伝家によって記事・記言を合わせた形式成立したが、編年体叙述には記述しきれない歴史事象あまりにも多く、その欠点を補うために現れた形。劉知幾は、左丘明が『左伝』を編纂した際に収録しきれなかった情報『国語』記されているとし、各国史書の記載網羅し選別したものが『国語』であると位置づけた。同時に『国語』はのちの「世家」の起源であるともされた。この類の書に『戦国策』、孔衍『春秋時国語』、司馬彪九州春秋』などがあり、劉知幾五胡十六国歴史記述にはこの体裁多く用いるべきだったとしている。 史記家史記』に始まる歴史書体裁。『史記』は黄帝から漢の武帝までの事跡記載し紀伝体取り本紀表・書世家列伝から成る。『史記』の成立によってあらゆる歴史叙述形式組み込まれ歴史事象幅広く体系的に記述された。一方、同じ事象記述あちこち分かれて書かれている点、同じ事件重複して記述されている点などに欠点がある。この類の書に梁武帝勅撰の『通史』、李延寿『南史』『北史』などがある。 漢書家 『漢書』に始まる歴史書体裁。『史記』は紀伝体として最初試みであり、不備な点も多かった。その一つ紀伝体という性質上、長期間叙述難しということであり、この点を改善し王朝断代史として作られたのが『漢書』であるとする。劉知幾は、『漢書』は一王朝興亡明らかにし、内容精密で、倫理大筋備えていると最も高く評価している。この類の書に『東観漢記『三国志』などがある。 以上の分類は、劉知幾の「史書の体例や文章時代によって変化せねばならない」とする考え方から、過去歴史書歴史的に位置づけその変遷考察しようしたものである。劉知幾は、経書である『尚書』『春秋』の精神は、史書分類される史記『漢書』にも継承されているとし、こうした歴史叙述精神聖人から引き継がれたものである考えていた。 劉知幾は、以上の歴史叙述の六家のうち、現在手本とすべきなのは「左伝家」と「漢書家」であるとする。「左伝家」について劉知幾は、「春秋三伝」の中で『左伝』が最も優れていることを「申左」篇で強調し、その理由として著者左丘明幅広い資料見ていることと、『左伝』が左丘明直接見聞に基づくことを挙げる劉知幾にとって、『左伝』は歴史事実忠実である上に、高い倫理性道徳性備えた歴史書であった。 そしてもう一つの「漢書家」が、劉知幾が最も重視した史体である。古来史官王朝仕えて事実記録していく人々であり、乱世なければ歴史を書くという行為王朝秩序支えるためという意識のもとにあった劉知幾仕えた唐王朝は、漢を理想とし、漢に並び立とうという意識持った王朝であって、その史官課題は「唐の歴史をいかに正確に記述するか」ということにある。劉知幾にとって、歴史記述範囲はあくまで一つ王朝であり、そこで断代史である『漢書』高く評価した。 これに関連して内藤 (1937, p. 613)は、この六家分類は、劉知幾理想とする「漢書家」の体裁正統歴史的由来持ち過去各種歴史書体裁根拠に持つことを強調するために設けた区分であるとする。そして、劉知幾が「漢書家」を最上みなした理由は、劉知幾自身史官として史書編纂従事する立場にあったことと関連するとする。つまり、もともと個人著作として書かれていた歴史書も、唐代には皇帝命令の下で多数史官によって編纂されるものに変わっており、劉知幾そうした史官一人であった以上、当時彼が編纂従事していた断代の紀伝体史が最上位置かれるのは止むを得ないことでもあった。

※この「歴史叙述の六家」の解説は、「史通」の解説の一部です。
「歴史叙述の六家」を含む「史通」の記事については、「史通」の概要を参照ください。

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