東晋・南朝宋・斉とは? わかりやすく解説

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東晋・南朝宋・斉(316-502)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 13:08 UTC 版)

貴族 (中国)」の記事における「東晋・南朝宋・斉(316-502)」の解説

魏はその後西晋禅譲行い、さらに西晋もまた36年という短い統一期間の後に匈奴の漢(前趙)により一旦滅亡し皇族司馬睿江南逃れて東晋立てた。この時、貴族たちは司馬睿と共に遷する者とそのまま華北残った者に分かれた司馬睿迎え入れ東晋政権安定させるのに尽力したのは主に現地土着豪族である。しかし東晋安定する政権枢要な地位就いたのは彼ら現地豪族ではなく司馬睿と共に渡した華北貴族たちであった。その代表は、王導王羲之琅邪王氏謝安謝霊運らの陳郡謝氏である。現地豪族たちは二流貴族として差別を受け、この不満から一部の者が反乱を起こすこともあったが、大勢としては東晋政権に従うことで地位を保つ道を選んだ。北来貴族南人貴族ともに華北混乱江南にまで及び、貴族としての地位完膚なきまでに破壊されることを最も恐れていたので、東晋政権崩れることを望まなかったのであるその後曲がりなりにも安定政権築いた東晋であったが、その権力基盤脆弱であり、貴族たちの歓心を買い、離反を防ぐために官職ばら撒くことを行った。郷品のうち、一品皇族大官の子などだけが得られる別のものであってまず与えられることはない。そして西晋代には郷品二品もまた貴重であり、大抵は郷品三品から始まっていた。しかしばら撒きにより名門であれば郷品二品珍しくなくなり次第に郷品二品三品以下との間にはっきりとした線が引かれるうになる。郷品二品の家は門地二品呼ばれ三品以下の家は寒門・寒士呼ばれる。また庶民任官し昇進して寒士より更に低い所で壁に当たることになる。これら庶民出身官吏は寒人と呼ぶ。 東晋初めごろはこれら北から亡命者増えることはそれだけ労働力増やすことになり、大い歓迎された。これら亡命者たちは元の本籍地戸籍登録され亡命後定着地の戸籍には登録されなかった。これを白籍という(反対に現地登録される戸籍を黄籍という)。そのためこれら亡命者たち亡命後定着に対して何ら義務負わず、単に権利のみを有していた。しかし東晋ある程度安定する亡命者たち持てはやされるともなくなり、現地戸籍登録して税を徴収するべきであるとの意見強くなった。これが桓温などの実力者の元で実行され土断である。 東晋において政権握ったのは王導謝安などの甲族門地二品であったが、それに対して東晋守りの要である北府西府両軍武力背景として桓温桓玄台頭し、桓氏の簒奪失敗の後に劉裕武帝)が新たに南朝宋建てた劉裕の後を継いだ文帝時期は、華北北魏統一戦の時代でその干渉免れたこともあり、長い平和が続いた。これを当時元号元嘉取って元嘉の治呼ばれ、この時代貴族制全盛時代とされる一方で劉裕生まれた時に危うく間引きされそうになったというエピソードが示すように、一応貴族分類されるもののかなりの末流であり、軍功によりのし上がり皇帝にまで上り詰めたのである以後南朝斉・陳の始祖南朝梁南朝斉の宗族)もまた劉裕同じく軍功により上り詰めた軍人である。 これら軍人皇帝は自らの手足として寒門・寒士層を重用するようになる門地二品層は皇帝意向無視することが多く、また意欲にも能力にも乏しい者が多かったためである。これにより寒門・寒人層の台頭が目立つようになるが、実際権力握っても寒門・寒士たちに対す門地二品層の身分的差別厳しいものがあった。例え蕭道成南朝斉の高帝)の寵愛受けた紀僧真貴族との交流求めたが、貴族から拒否されている。 南朝宋から禅譲受けた南朝斉では高帝武帝一時的な安定の後は皇族地位巡って殺しあう暗黒時代となった。そのため23年という短い期間で斉は滅亡し蕭衍武帝)により南朝梁建てられた。

※この「東晋・南朝宋・斉(316-502)」の解説は、「貴族 (中国)」の解説の一部です。
「東晋・南朝宋・斉(316-502)」を含む「貴族 (中国)」の記事については、「貴族 (中国)」の概要を参照ください。

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