簒奪とは? わかりやすく解説

さん‐だつ【×簒奪】

読み方:さんだつ

[名](スル)帝王の位、政治実権などを奪い取ること。「王位を—する」


簒奪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 20:28 UTC 版)

簒奪(さんだつ)とは、本来君主の地位の継承資格が無い者が、君主の地位を奪取すること。あるいは継承資格の優先順位の低い者が、より高い者から君主の地位を奪取する事。ないしそれを批判的に表現した語。本来その地位につくべきでない人物が武力や政治的圧力で君主の地位を譲ることを強要するという意味合いが含まれる。




「簒奪」の続きの解説一覧

簒奪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 05:31 UTC 版)

ロデリック (西ゴート王)」の記事における「簒奪」の解説

754年年代記によると、ロデリック元老院後押しを受け波乱含み(tumultuose)で王国(regnum)を占領したという。歴史家たちはこれらの言葉正確な意味について長く議論してきた。前に起こったことのある典型的な宮廷クーデターではなく、むしろはっきりと王国二分しようと宮廷へ暴力的な侵略行為行ったとみられている。 この侵略王国外側からのものでないことが推測される。なぜならregnumという言葉王座意味し、おそらくロデリック容易に王冠を簒奪したとみられるからである。それにもかかわらずロデリック地方司令官伝承によれば、のちにバエティカのドゥクスとなったであったか、クーデター企てた際には亡命の身ですらあった。 正統の王ウィティザの暗殺または廃位に、または彼の自然死原因関係してようがいるまいが、tumultとはこの簒奪行為がおそらく力ずくであることをうかがわせる一部学者たちは、アギラ2世ロデリック対立王であり、ロデリックアギラ2世から王座奪おうとしたと信じている。アギラ2世実際にウィティザの息子でかつ後継者であったロデリッククーデター成し遂げた元老院は、おそらく『有力貴族一部司教』から構成されていただろう。反乱側に聖職者参加したことには議論なされている。一部人々は、司教からの支持得たことは、王位簒奪というレッテルを貼られる行いにつながらなかったと主張する現世における教会支配者は、レカレド1世時代以降西ゴート王国王位継承決定するのに権力を持つ存在であった。しかし、王位継承権を持つ王族は、西ゴート王国最後数十年間に彼らの影響力封じようとした歴代国王措置それほど影響を受けなかった。これは711年クーデターでの彼らの影響から明らかである。

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簒奪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:11 UTC 版)

サルゴン2世」の記事における「簒奪」の解説

サルゴン2世が簒奪によってアッシリア王位に就いたかどうかについては論争がある。サルゴン2世簒奪者であったということは、主に彼の名前(これは「正統なる王」を意味するであろう)の背後ある意味について考えられる解釈と、サルゴン2世多数碑文彼の出自にほとんど言及しないということ基づいている。アッシリアの王たちの確立され系譜の中でサルゴン2世どのような位置にあるかということ説明欠如しているということはサルゴン2世だけではなく彼のとされるティグラト・ピレセル3世と、息子後継者センナケリブ碑文のいずれにも共通する特徴である。ティグラト・ピレセル3世は簒奪によって王となったことが知られているが、センナケリブサルゴン2世嫡子であり正統後継者であったセンナケリブ自身父について沈黙していることについての複数の説が出されている。もっとも受け入れられている説は、センナケリブ迷信深く、父の身に降りかかった不運恐れていたということである。あるいは、センナケリブアッシリア歴史新し時代始めることを望んだか、父に対す恨み持っていたとも考えられるサルゴン2世時にティグラト・ピレセル3世言及している。サルゴン2世多数ある彼の碑文のうち2つにおいてのみ明確に自分ティグラト・ピレセル3世息子であるとしており、石碑1つで「王家父祖」に言及している。もしサルゴン2世ティグラト・ピレセル3世息子であるならば、彼は恐らく父・兄治世中に重要な行政または軍事的な地位保持していたであろう。しかし、サルゴン2世王位に就く前に使用していた名前が不明であるため確認することができない。その治世通じて宗教的施設への愛着繰り返し示したことから、彼は何らかの宗教的役割果たしていた可能性があり、それはハッラーン市の重要なsukkallu(高官)を務めていたというものであるかもしれない。彼が実際にティグラト・ピレセル3世息子であったかどうかはともかく、サルゴン2世前任者たちから距離を置こうとしており、今日ではアッシリア最後の王朝(サルゴン王朝)の創設者であると見なされている。遅くとも670年代には言及されているとおり、サルゴン2世の孫エサルハドン(アッシュル・アハ・イディナ)の治世中、「かつての王族の子孫」が王位奪いとろうという試みがあった。これは、サルゴン王朝が必ずしも以前アッシリア君主たちと良く結びついていなかったことを示唆している サルゴン2世血脈とは関係なく、シャルマネセル5世からサルゴン2世への継承ぎこちないのだったであろうサルゴン2世碑文の中で、シャルマネセル5世言及するものは次の1つしかない。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}世界の王恐れざる者シャルマネセル、彼の手はこの都市[アッシュル]に冒涜もたらし彼の臣民労働者如く強制労働と重い賦役課した神々のイッリル(Illil)は彼の心中怒りにおいて彼の統治覆し、余、サルゴンアッシリアの王に任命した。彼は我が頭を上げ王笏王位ティアラを余に取らせた。 この碑文シャルマネセル5世破滅ついてよりもサルゴン2世即位ついてよ詳しく説明している。他の碑文によって証明されているように、サルゴン2世シャルマネセル5世によって課されたとしている不正を見てはいない。サルゴン2世別の碑文群は、アッシュル市やハッラーンのような重要な都市免税は「古の時代に」取り消されており、ここで述べられ強制労働シャルマネセル5世ではなくティグラト・ピレセル3世時代実施されたと述べている。

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簒奪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:26 UTC 版)

ハットゥシリ3世」の記事における「簒奪」の解説

ハクピシュ副王としてネリクを奪還する働きをみせ、自分生涯で最高の功績自賛している。そのため長男には「ネリクの人」を意味する「ネリッカリ」と名づけたほどである。ムワタリ死後、その息子で甥にあたるムルシリ3世王位についたが、ムルシリ3世庶子であり、このことがムルシリ3世と他の王族の間に軋轢生み出していた。それでもハットゥシリ3世当初ムルシリ3世支持していた。 しかし両者の関係次第悪化。ムルシリが誇るべきネリク長官地位奪って自分排除しようとしたので、先手打ってムルシリ3世追放して王位についた、とハットゥシリは自らの年代記主張している。一方でムルシリ3世の弟クルンタをかつてムワタリ首都構えたタルフンタッシャの王に任じて、親ムルシリ3世派の懐柔図った。また神助であることを強調して自分即位正当化した息子のトゥドハリヤでさえ父の簒奪には批判的で、父の側について戦ったマストゥリという人物批判している。

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簒奪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 05:46 UTC 版)

偽ドミトリー1世」の記事における「簒奪」の解説

ボリス・ゴドゥノフはこの僭称者存在聞くと、特にはっきりした情報掴めないうちに、彼を逃亡した修道士グレゴリー・オトレピエフ(俗名ユーリー)だと宣言した。しかし、ボリスがこの噂を広めよう努力するほど、ドミトリー支持者増えていった。何人かの大貴族は、ボリス政府服従しなくて済むという理由から、僭称者への支持表明したドミトリー多く支持者得て小規模な軍隊組織し、さらにポーランド・リトアニア共和国マグナートから約3,500名のミリシア供出受けて1604年6月ロシア領内入った南部コサック始めとするゴドゥノフ敵対者達が、ドミトリーモスクワ進軍参加したドミトリー軍は戦意の低いモスクワ国家軍と2度交戦し1度目クルスク始め4都市陥落させて勝利したが、2度目大敗しかけて滅亡寸前追い込まれた。劣勢に立たされていたドミトリー持ち直したのは、ツァーリであるボリス・ゴドゥノフ崩御の報が入ったおかげである。 ボリス唐突な死でドミトリー拒む大義名分失ったロシア側は、うやむやのうちにドミトリー支持に回る者が相次ぎ1605年6月1日グレゴリオ暦6月10日)にはボリス後継者フョードル2世モスクワ逮捕された後、母親であるボリス・ゴドゥノフの妃マリヤ・スクラートヴァ=ベリスカヤと共に処刑された。6月20日僭称者首都モスクワ凱旋入城果たし、自ら新たに選んだギリシア人総主教イグナチオス(ロシア語版の手で、6月21日戴冠式執り行った

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簒奪

出典:『Wiktionary』 (2021/08/21 00:55 UTC 版)

名詞

さんだつ

  1. 横取り
  2. 帝王臣下奪取すること。

発音(?)

さ↗んだつ

対義語

動詞

活用

サ行変格活用
簒奪-する

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