東山檀林旧跡とは? わかりやすく解説

東山檀林旧跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 16:11 UTC 版)

善正寺 (京都市)」の記事における「東山檀林旧跡」の解説

檀林というのは、現在の大学相当するもの僧侶学問所のこと。開設善正寺現在の地に移って四半世紀のちの寛永元年(1624)檀林開基第四世顕寿院日演上人地名をもって東山檀林とよばれ、明治初年の廃にいたるまでの間、実に七百余人歴代数えてます。東山檀林京都檀林一つ数えられ宗風大い興り全国から多く高僧集まり、また多く学僧寄宿し勉学励みました。花時には都下人々が群参し樹下酒宴ひらいて三界の苦をしばし忘れたと言われています。 檀林における授業内容は「文句五構、玄義七構総ジテ以テ十席三十席」と定められており、一席でも休むと進級できなかったよう。学費善正寺の「新来礼銀ノ定」によると「大仲四百能化二両、玄能一両、能指南二両納メル可キコト、外ニ指南銀八妙見掛銭四十納ム可キ事」となっている。 檀林の名称は近世入ってから一般化したもので、中世後期までは談所・学室・学問所などと呼ばれた。 画、元治元年(1864)「東山名勝圖會」(「再撰花洛名勝圖會 東山之部」)木村明啓・川喜多真彦/著、松川安信ほか/より 「大頭網録」には『東西六十間、南北七十五間、五千百余坪、南禅寺一条殿、黒谷長良寺、西大路殿ニ寺領アリ』と記されており、寺域規模をうかがうことができます寛政元年1789)頃の「東山檀林善正寺古図」では、敷地南北70間、東西65間)、表門高麗門)、半門、裏門妙見宮番神堂玄義講義所文句講義所鐘楼玄能寮、本堂(7×8間)、釈迦堂(6間四面)、客殿玄関書院庫裏食堂大頭寮、くず屋経蔵、秀次霊屋雪隠所化寮5棟、が描かれてる。 西に表門開き、その付近にくず屋玄義講談所が配される石段を登って正面本堂、その西側釈迦堂何れも南面し釈迦堂前に鐘楼本堂東に経蔵本堂背後廊下客殿書院庫裏食堂連絡する北西玄能寮、北東鎮守妙見社がある。大頭寮は北東にある。南東には文句講義所番神堂がある。所化寮は西辺に3棟北辺に1棟、東辺に1棟が配される。秀次廟所墓所北辺にある。( 「近世日蓮宗檀林建築構成-1-」丹羽博亨(広島工業大学研究紀要 16通号 20〕1982/03 所収)より) 1872年明治5年学制発布により廃 現在は参道入口檀林時代の碑が確認できる

※この「東山檀林旧跡」の解説は、「善正寺 (京都市)」の解説の一部です。
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