宗風
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その宗風は、「方円黙契」と称せられ、『法眼十規論』では「谷の韻に応じるが如く、関の符を合するに似たり。規儀を差別すると雖も、かつ融会を礙ぐることなし」と述べている。また、『五家宗旨纂要』では「潙仰の宗風は、父子一家、師資唱和し、(中略)体用及び彰る」と述べられている。 つまり、その宗風には、黙照禅と称される曹洞宗に類似した点も見られるが、家族的で、孤立的な性格があったものと思われる。その宗風が、逆に災いし、同系の臨済宗が隆盛するにつれて、衰退して行き、宋代に至って遂に吸収同化されてしまったものと考えられる。
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宗風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/17 08:16 UTC 版)
『法眼十規論』では「韶陽は則ち函蓋截流」といい、五祖法演は「紅旗閃燦」と言っているように、その宗風は厳しく機鋒が峭峻であり、矛先のように鋭い問答は非常に簡潔な語句を用いて行なわれ、弟子を育てる手段(接化)も著しく他と異なるものがあった。 「雲門三句」と言って、接化の手段を三句にまとめた。「函蓋乾坤」箱と蓋がぴったり合うように弟子の機根にぴたりあった接化をおこなう。「截断衆流」有無を言わさず修行者の煩悩を絶ち切らせる。「随波逐浪」修行者の個性に随って闊達無礙な指導をすること。このような千変万化する接化の妙に特色があった。 三句はまた同時に雲門宗の特徴ともされた。「函蓋乾坤」は徹底した「現実肯定」を指すが安易な現状追認ではなく、仏法は現実とは別に在らず「現実則仏性」の徹底した修行をいう。「截断衆流」俗世間の雑念妄想をたちきって、衆生の煩悩を断ち切る。「随波逐浪」現実を厳しく見据えた上に、計らいなしで、あるがままで生きていく。雲門は、一切の図式・教条性・パターン化したものを徹底的に拒み、自らの座標軸を絶えず自分で転換していく、一処に留まることをしない禅風であった。 また「雲門の一字関」と言って「唖」「咦」「喝」「咄」「露」「胔」「聻」「参」「鑑」「倶」「拶」「嗄」「是」など、たった「一字」でもって禅の玄旨を著した。
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