文献史料とは? わかりやすく解説

文献史料

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 15:10 UTC 版)

ウナス」の記事における「文献史料」の解説

ウナス実在立証する文献史料として第一に挙げられるのは、彼の名が記されている新王国時代三つ王名表である。セティ1世治世時代(紀元前1290年紀元前1279年)に制作されアビドス王名表英語版)では、ウナス33番目に記載されている。ラムセス2世治世時代(紀元前1279年紀元前1213年)に作成され二つ王名表では、サッカラタブレット英語版)の32番目、トリノ王名表第325番目にその名が見える。トリノ王名表また、ウナス統治期間30年間と記している。三つ王名表全てが、ウナス第5王朝9代目にして最後ファラオであり、先代ジェドカラー、後を継いだのはテティだとしている。これら年表記述は、王墓などの発掘史料によって内容立証された。 三つ王名表の他に、プトレマイオス2世時代(紀元前283年紀元前246年)に神官マネト著したエジプト史『アイギュプティカ』にもウナスに関する記述があったと考えられる。『アイギュプティカ』は現存する版本無く後世のセクストゥス・ユリウス・アフリカヌス(英語版)やエウセビオス著作中に佚文が残るのみである。アフリカヌスによればアイギュプティカ』には「第5王朝最後の王は名をOnnosといい、治世33年間である」との記述があるという。Onnosはウナスの名をギリシャ語表記したもの考えられ33年という統治期間トリノ王名表30年間という記録比較符合する

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文献史料

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 13:50 UTC 版)

オホーツク文化」の記事における「文献史料」の解説

詳細は「流鬼国」を参照 日本書紀には、7世紀阿倍比羅夫遠征航海途上大河河口蝦夷粛慎交戦知り、幣賄弁島(へろべのしま、樺太奥尻島ではないかと言う説がある)で粛慎戦った記されている。その大河石狩川とし、粛慎オホーツク人とする説はあるが、確証はない。 『通典』唐会要』、『資治通鑑』、『新唐書』など中国時代記録には、2代皇帝太宗貞観14年640年)、北方流鬼国より朝貢使節団来朝したとの記述がある。この流鬼国は、オホーツク文化人を指すのではないかという説がある。

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文献史料

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 02:34 UTC 版)

擦文時代」の記事における「文献史料」の解説

北海道擦文時代は、道外飛鳥時代から鎌倉時代後期にかけての時期相当する『日本書紀』にある7世紀後半飛鳥時代)の阿倍比羅夫航海はじめとして六国史には渡島わたりしま)の蝦夷(えみし)との交渉記事多数ある。渡島所在めぐってこれまで諸説あったが、近年では北海道みなしていとする意見が多い。もしその通りだとすると、渡島蝦夷擦文文化人々ということになる。

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