セティ1世とは? わかりやすく解説

セティ1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 14:09 UTC 版)

セティ1世(英:Seti I、在位:紀元前1294年 - 紀元前1279年)は古代エジプト第19王朝の第2代ファラオ。名は「セト神の君」を意味する。エジプト神話で主に悪として描かれるようなセトの名を冠したファラオの即位は、実在が確認できる王では初めてのことであった[注釈 3]。セティ1世は、アクエンアテンの時代に荒廃したエジプトの復興に努め、国力の充実も図った。海外遠征にも力を入れ、パレスティナへ信仰、西ではリビア軍を撃退し、南はナイル川の第四急流までを支配するに至った[2]。彼の子、ラムセス2世の代におけるエジプトの大繁栄は、セティ1世の安定した治世によるものが大きいとみられる。


注釈

  1. ^ 1290 B.C.とする説も存在する。
  2. ^ "Maat"はJusticeまたはTruthと解される
  3. ^ エジプト神話でのホルスとセトとの戦いは、ホルスの勝利に終わり、セト神はオシリス神を殺すなどの邪悪なもの[1]として描かれているが、その一方セトは戦いの神、嵐の神として崇拝もされており、実際にラメセス2世がカデシュの戦いでヒッタイト軍と戦った時の軍団の名前は、ラーホルス・セト・プタハであった。

出典

  1. ^ 松本(1994) pp.86
  2. ^ 松本(1994) pp.173-174


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