サッカラ【Saqqara】
サッカラ
サッカラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:54 UTC 版)
サッカラ(アラビア語: سقارة、Saqqara)は、エジプトにある広大な古代の埋葬地であり、古代エジプトの首都だったメンフィスのネクロポリスだった。サッカラには多数のピラミッドがある。中でも有名なジェセル王のピラミッドは、その形状から階段ピラミッドとも呼ばれる。他にもマスタバがいくつかある。現在のカイロから南に30kmほど行ったところにあり、7km×1.5kmほどの領域をサッカラと呼んでいる。サッカラという地名は、エジプトの葬祭神ソカル (Sokar) に由来すると言われている。
サッカラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 08:53 UTC 版)
「エジプトのピラミッド」の記事における「サッカラ」の解説
サッカラの有名なピラミッドには、世界最古の石造建築物であるジェセルの階段ピラミッドがある。その他にもウセルカフやテティ、エジプトで最も保存状態がよいものの一つウナスのピラミッドがある。このピラミッドは、ラムセス2世の息子による最初の復元の対象の一つにもなった。ウナスのピラミッドはエジプトの歴史で初めて内部にヒエログリフがびっしり刻み込まれ、美しいピラミッド・テキスト(en:Pyramid Texts)が見られる。サッカラにはセケムケトの未完成の階段ピラミッドもあり、「埋蔵ピラミッド」として知られている。考古学者は、このピラミッドが完成していたらジェセルのもの以上の規模になったと推測している。 サッカラの主要なピラミッド群の南方には、後の時代の小さなピラミッドの群があり、ペピ1世やペピ2世のピラミッドがある。その多くは保存状態が悪い。ペピ1世のピラミッド(Pyramid of pepi)は、49年間の統治を終え、紀元前2283年に崩御した王の墓で、現在、ピラミッドは「メンネフェル・ペピ」の名で知られている。 第4王朝のファラオシェプスセスカーフは、ピラミッドの建設に対する興味も能力も持たなかった。サッカラ南部にある彼の墓は大きなマスタバで寺院が付属し、「ファラオのマスタバ」として知られている。 2008年末にサッカラ北部で埋葬者不明のピラミッドが発見された。テティの母の墓だと考えられている。約5mの高さだが、建設当時は14m程度あったと考えられている。墓の開封は2008年12月に行われた。
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サッカラ
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「メンフィスとその墓地遺跡」の記事における「サッカラ」の解説
テティ王のピラミッド(エジプト第6王朝) ウセルカフのピラミッド(エジプト第5王朝) ジェゼル王の階段ピラミッド(エジプト第3王朝) ウナス王のピラミッド(エジプト第5王朝) セケムケト王のピラミッド(エジプト第3王朝) ペピ1世のピラミッド(エジプト第6王朝) メルエンラー1世のピラミッド(エジプト第6王朝) ジュドカラー王のピラミッド(エジプト第5王朝) ペピ2世のピラミッド(エジプト第6王朝) サッカラはエジプト第2王朝期から王家の墓地として使用されてきた場所であり、最古のピラミッドとされるエジプト第3王朝・ジョセル王の階段ピラミッドもこの土地に建設された。エジプト第4王朝期にはピラミッド建設はギザに移動したものの、エジプト第5王朝の創始者であるウセルカフはサッカラのジェゼル王のピラミッドに隣接してピラミッドを建設している。その後いったん王墓はアブシールに移動したものの、第5王朝後期からエジプト第6王朝にかけてはふたたびサッカラにピラミッドが建設されるようになった。
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