政策の実行
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「アメリカ学派 (経済学)」の記事における「政策の実行」の解説
1841年夏に連邦議会の特別会期が招集されて、アメリカ・システムの再設定が論じられた。関税の問題は1842年に再浮上し、1833年妥協は失敗し、保護制度が優先事項になった。 当時民主党はマーティン・ヴァン・ビューレン(任期1837年-1841年)、ジェームズ・ポーク(任期1845年-1849年)、ジェームズ・ブキャナン(任期1857年-1861年)各大統領の時代に支配を続けたこともあって、アメリカ・システムはアメリカ合衆国の経済哲学とはならなかった。1860年にエイブラハム・リンカーンが大統領に当選すると、南北戦争の間に一連の法を成立させ、ハミルトン、クレイ、リストおよびキャリーが理論化し、書物に収め、推奨していたことを十分に実行することができた。 U-S-History.comには次の様に記されている。 リンカーンが就任すると直ぐに、遂に昔のホイッグ党連衡が政府全体を支配した。即座に平均関税率を3倍にし、戦争は悲観的な状態が続いていたにも拘わらずカリフォルニア州での大陸横断鉄道建設への助成を始め、1862年2月25日には法定通貨法を成立させて、財務長官が紙幣(グリーンバック)を発行する権限を与えた。この紙幣は金や銀と交換できないものだった。 アメリカ合衆国は19世紀後半を通じてこれら政策を実行し続けた。ウィリアム・マッキンレー大統領(任期1897年-1901年)は次のように述べている。 もし保護関税がなかったら、物品が少し安くなっていただろうと言う者がいる。物品が安いか、我々が日々の労働で稼ぐことのできるものに頼るかである。自由貿易は生産者の痛みで製品を安くしている。保護貿易は生産者の地位を上げることで製品を安くしている。自由貿易の下では、貿易業者が主人で、生産者は奴隷である。保護貿易はまさに自然法則、自衛法則、自己啓発法則であり、人類の最高最良の運命を確保するものである。保護主義は不道徳だ(と言われる)...何故か、保護主義が6,330万人の(アメリカ合衆国)国民を作り上げその地位を上げるならば、その6,330万人の国民が世界の他の国民の地位を上げる。我々はどこでも人類に利益を与えることなしに進歩の道を踏み出すことはできない。そうだ、彼等は「あなた方が一番安いものを買うことのできる場所で買え」と言う。...勿論それは労働など全てのものに当てはまる。それより数千倍も良い格言をあなたに上げよう。それは「あなた方が最も容易に金を払える場所で買え」という保護主義の格言である。地球上のそのような場所は、労働者がその最高の報酬を勝ち取る所である。 アメリカ・システムは、南北戦争後では初めて当選した民主党候補となったグロバー・クリーブランド大統領(任期1885年=1889年、1893年-1897年)にとって、良きにつけ悪しきにつけ重要な選挙政策だった。クリーブランドは1893年にアメリカ製造業を保護する関税を下げ、経済事情への連邦政府の関与を縮小させ始めた。この過程はハーバート・フーヴァー大統領(任期1929年=1933年)が悪化する世界恐慌に対して「あまりに少しで、あまりに遅い」対応をするまで続いた。
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