戦争への準備
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詳細は「海陵王」を参照 1150年、完顔亮(海陵王)は宮廷クーデターで従兄の熙宗を殺害して皇帝に即位した。彼は女真族の部族会議を通さず、中国王朝の皇帝のように専制的に統治した。『金史』では海陵王が征服、絶対的な権力、女という3つの望みを腹心に打ち明けており、最終的には中国北部のみならず全体を統治する野望を持っていた。彼は幼少期に宋の使節から茶飲を学び、皇帝に即位すると漢化政策を推し進めた。1157年、国都を上京会寧府から北京大定府に移し、開封を南京に昇格させた。さらに行政機関を南へ移動させ、満州の王宮を取り壊して北京大定府と南京開封府に宮殿を造営させた。国都をさらに南へ移動させる計画もあったが、このような大規模な建設工事は金の国庫に重い負担をかけることとなった。 対南宋戦争の計画は1158年に始まり、海陵王は紹興の和議にある、南宋による馬の輸入を禁じた条項が破られたと主張、翌年に侵攻軍を準備した。彼は武器や56万を号する軍馬を北京に集め、兵員も必要だったため女真族のみならず漢民族も徴兵した。徴兵は1161年まで続いた。兵員輸送に河川を利用する予定だったため、水上戦も想定され、海陵王は1159年3月に軍船の建造を命じ(建造は通州(中国語版)で行われた)、徴兵された兵士のうち3万人を艦隊に編入した。また、自身を元帥として自ら侵攻軍を率いるとした。徴兵は不人気であり、南宋との国境付近の州などでは反乱が勃発した。海陵王は意に介さず、皇太后徒単氏が戦争準備を批判したと知ると彼女を処刑したほどだった。 海陵王は将来の禍を避けるため、金国内に住んでいた北宋の欽宗の末裔と遼の末裔のうち、男性を全員殺害した。数カ月のうち北宋と遼の王族130人が殺害されることとなったが、やはり不人気な政策であり、契丹族は満州で反乱を起こして徴兵を拒否した。徴兵拒否の理由は敵対した部族から契丹の領地を守れなくなることだったが、海陵王が聞き入れなかったため反乱軍は女真族官僚を数人殺害した。しかし、反乱勢力は内部分裂しており、一部は遼の首都だった上京臨潢府から反乱を拡大することを目指し、一部は遼の滅亡後に建国された中央アジアの西遼への合流を主張した。それでも海陵王は戦争準備を一部割いて反乱鎮圧に振り分けざるを得なかった。 その間も金宋間の外交は続き、『宋史』では金の外交官の無礼により宋は金の侵攻計画に気づいたという。宋の大臣の一部は戦争を予想したが、高宗は金との平和を維持しようとし、敵対した場合の準備をしようとしなかったため、国境の守備は疎かのままで1161年時点では3カ所に駐留軍を配備したにすぎなかった。海陵王のほうは軍を4手にわけて1161年10月15日に開封を発ち、うち1軍は海陵王自ら率いた。28日には淮河を越えて南宋領に入った。南宋の守備軍は長江南岸に配備されたため、淮河付近での進軍はほとんど抵抗を受けなかった。
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戦争への準備
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「第四次マイソール戦争」の記事における「戦争への準備」の解説
これにより、マドラス軍総司令官ジョージ・ハリスのもと、数ヶ月間にわたって戦争の準備が進められた。それは今までに例がないほどの広汎なものだったといわれる。また、リチャード・ウェルズリーの弟アーサー・ウェルズリーが会社の救援をするために本国から派遣されてきた。彼は国王軍、第23歩兵連隊の指揮官に任命されていた。 また、リチャード・ウェルズリーはその決意のほどから、アーサー・ウェルズリーに自身もマイソール討伐軍に参加するといった。だが、アーサーは職業軍人である彼の立場から、兄は単なる文官がシュリーランガパトナを落とすという困難な軍事作戦を指揮するのは無理だと考え、マドラスから彼に手紙を出した。 「あなたがこれから何をなされようとしているのか私は全く知りません。しかし、相当の反対が予想されます。あなたが陣営内におられることは将軍に自信を与えるどころか、彼から実際に指揮権を奪うことになります。もしも私がハリス将軍の立場に置かれて、しかもあなたが我が陣営に加わるなら、私は必ずその職を離れます。これが今度の件に関して私が言いたいことの全てです」 — アーサー・ウェルズリーより そのため、ウェルズリー兄弟の関係は一時的に冷え込み、アーサーは手紙の冒頭に「閣下」と記して手紙を書くなどしたため、互いのやり取りは堅苦しい言葉が連なることとなった。だが、リチャードはアーサーの助言を聞きいれて、結局は従軍せずにカルカッタに留まることにした。
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