戒厳令布告とは? わかりやすく解説

戒厳令布告

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:25 UTC 版)

六四天安門事件」の記事における「戒厳令布告」の解説

この頃中国共産党指導部は、保守派長老によって総書記の座に選ばれたものの、民主化求め学生らの意見同情的な態度取った改革派趙紫陽総書記胡啓立書記などと、李鵬首相姚依林副首相らの強硬派分かれたが、5月17日ゴルバチョフ北京離れるまでの間は、この様事態に対して事を荒立てるような政治的な動き見せなかった。 5月16日夜、趙紫陽李鵬胡啓立喬石姚依林の5人の政治局常務委員会開かれ学生たちの要求する四・二六社説」の修正について話し合われ趙紫陽修正賛成李鵬反対したため決着しなかった。 5月17日午後に改めて、党長老事実上最高権力者である鄧小平中軍主席加え楊尚昆国家主席含めた会議鄧小平自宅行われたところ、戒厳令布告について趙紫陽胡啓立反対李鵬姚依林賛成喬石中立意見表明し、5人の政治局常務委員会割れた政治局常務委員ではない楊尚昆賛成表明した後、政治局常務委員会による投票をすることなく鄧小平は以下のように発言し戒厳令布告決定した。 「事態進展見ればわかるように、4月26日社説判断正しかった学生デモ未だ沈静化しない原因党内にある。すなわち、趙(紫陽)が5月4日アジア開発銀行総会行った演説原因なのだ。今ここで後退する姿勢示せば、事態急激に悪化し統制は完全に失われる。よって、北京市内に軍を展開し戒厳令を敷くこととする。」 — 鄧小平 これに対し趙紫陽は以下のように述べ戒厳令発動拒否したため、鄧小平李鵬楊尚昆喬石の3人を戒厳令実施責任者任命した。 「決定下さないよりは下した方が良いけれども、今回決定が招くであろう深刻な事態大変憂慮している。総書記として、この決定内容推進し効果的に実行することは私には難しい。」 — 趙紫陽 5月19日午前5時頃、趙紫陽当時党中央公庁主任務めていた温家宝連れてハンガーストライキ続け学生見舞う中で涙を見せ学生たちの愛国精神褒め称え、「諸君はまだ若いのだから命を粗末にしてはいけない」と、迫りつつあった流血惨事避けるために、学生たちにハンスト中止促したが、学生たちには真意十分に伝わらなかった。 しかし、趙紫陽演説学生たちに歓迎され拍手は止まなかった。5月20日鄧小平自宅非公式会合開き趙紫陽解任事実上決定したその後6月19日政治局拡大会議で「動乱支持し、党を分裂させた」として、趙紫陽党内外の全役職解任され自宅軟禁下に置かれ、これ以降政治表舞台から姿を消した5月19日午後10時党中央国務院中央北京市党政軍幹部大会開き、戒厳令布告の発表行った党中央全人代国務院中央軍事委員会中央顧問委員会中央紀律検査委員会全国政協北京市副部長級の幹部および、党中央公庁国務院公庁局長クラス出席した趙紫陽は「体調不良」により欠席することが大会主催する喬石から伝えられ趙紫陽割り振られていた講話楊尚昆国家主席担当した。まず李錫銘北京市党委書記北京市状況説明し続いて李鵬戒厳令必要性訴え講話行った。 これ以降保守派によって戒厳令体制強化が行われることになったものの、23日には戒厳令布告に抗議するために北京市内で100万規模デモが行われるなど、事態沈静化しないばかりか益々拡大して行く。また、政府による戒厳令布告受けて日本フランスはじめとする多く西側諸国政府は、自国民の国外脱出促すようになったこうした中、カナダ訪問中の全人代常務委員長の万里が、「改革促す愛国行動」と学生運動評した発言5月17日付け新華社報じたことで、学生たちだけでなく社会全体希望生まれた全人代常務委員らが万里出国前に6月20日前後となっていた常務委員会の繰上げ開催奔走し李鵬解任要求戒厳令反対機運高まりけたものの、万里自身北京には戻らず病気療養」のため上海入り江沢民説得役として変心させた。 2日後万里党中央決定対し一転して支持」を表明する武力介入避けられない状況となったことで、知識人らは学生たちに撤収促したものの、地方から集結した強硬派多数占めた学生側話し合い反対票が9割を超えたため、撤収不可となった5月30日には、天安門広場中心にニューヨーク市の「自由の女神」を模した民主女神」像が北京美術学院の学生によって作られその後この像は、民主化活動シンボルとして世界中メディアで取り上げられた。また、この頃香港中華民国台湾)、アメリカ合衆国など、国外華僑による民主化推進支援の活動活発になっていた。

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戒厳令布告

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:31 UTC 版)

釜山政治波動」の記事における「戒厳令布告」の解説

李承晩政権意を受けた官製団体政治ゴロによる国会解散国会議員リコール要求するデモ日増しに激しくなり、緊迫した政治状況続いていた5月25日政府は「慶尚南道全羅南道北道一帯潜伏している共産ゲリラ掃討する」との名目で、釜山市始め周辺23郡に非常戒厳令布告した。翌26日には、国会議員50名余を乗せたバス丸ごと憲兵隊連行されて「国際共産党秘密工作費を用いて政府革新全国指導委員会」の設立謀議した」との容疑で幾名もの議員検挙あるいは逮捕された。このような緊迫した状況乗じる形で院外自由党支配されていた七道議会29日までに国会解散することを決議し新聞報道26日からの事前検閲によって規制された。 政府による弾圧日に日に強まる中、野党議員逮捕され議員全員釈放決議28日)するなど抗議意思示し副大統領金性洙反対意思を示すために副大統領職辞任29日)した。これに対し自由党合同派)は6月3日から、国会民意従わず外国勢力依存しているとして、国会出席拒否した更には李承晩大統領支持する御用団体による国会解散要求デモ続いているにもかかわらず国会警備していた警察隊が再訓練理由撤収してしまった。一方6月20日民国党中心とする野党勢力開催した「反独裁護憲救国宣言大会」が暴漢襲撃され中止追い込まれる事件が、続く6月25日には朝鮮戦争記念行事式典李承晩大統領対す狙撃未遂事件発生するなど、政局は一層緊迫態となった。

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