中国共産党中央政治局常務委員会
(政治局常務委員 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/16 01:05 UTC 版)
中国共産党中央政治局常務委員会(ちゅうごくきょうさんとうちゅうおうせいじきょくじょうむいいんかい)は、中国共産党の最高意思決定機関。憲法に於いて「中国共産党が国家を領導する[注釈 1]」と規定されている中華人民共和国の政治構造において、事実上国家の最高指導部でもある。
注釈
- ^ 高橋(2007年)、495ページによると中華人民共和国憲法における「領導」の意味は「上下関係を前提とした指導の関係」である。坪田(2009年)、93ページ、脚注1によると中国共産党が使用する「領導」は「(絶対的な)指揮命令および服従を強いる権限を含む意味」がある。
- ^ 鄧小平が中央委員を退くに伴い、第13回党大会で「中央軍事委員会主席は中央政治局常務委員から選出する」との条文を党規約から削除している。また、この時期は国家主席・全人代常務委員長・政治協商会議主席も鄧小平と同世代の「八大元老」の中から選ばれ中央政治局常務委員でない者が就任する例が多かった。
- ^ 礼記の「刑不上大夫」から出た言葉。ただし、「刑不上大夫」は「礼不下庶人」と対になっており「大夫は廉恥を知る者のはずなので刑ではなく礼によって身を律する、庶人はそれができないので刑によって取り締まる」ということで本来は別に大夫を寛大に扱う趣旨ではなかった。
- ^ 「党組」とは各国家機関・組織におかれた中国共産党の領導組織。正副書記と成員の数名で構成され、その構成員は当該機関の幹部と同一。坪田(2009年)、96ページ、脚注7。
出典
- ^ 坪田(2009年)、103ページ。
- ^ 坪田(2009年)、104ページ。
- ^ 曽・小口(2002年)、52ページ。
- ^ 中国前最高指導部の周永康氏は「拘束」されたのか…警察の“バック”、政局に激震も 産経新聞 2013年12月14日
- ^ 工藤哲・米村耕一「習近平体制発足 攻防の末『二重の院政』」『毎日新聞』2012年11月16日付記事、大阪版3面。
- ^ 河崎真澄「中国共産党 習総書記体制が発足 最高指導部を減員」『産経新聞』2012年11月16日付記事、大阪版1面。
- ^ 「中国共産党規約(第三章)党の中央組織」中国共産党ニュース(人民網日本語版)を参照(2012年12月1日閲覧)。
- ^ 坪田(2009年)、100 - 103ページ。
- ^ 坪田(2009年)、101 - 102ページ。
- ^ “中共二十届一中全会公报-新华网”. www.news.cn. 2022年10月23日閲覧。
- 1 中国共産党中央政治局常務委員会とは
- 2 中国共産党中央政治局常務委員会の概要
- 3 会議制度
- 4 関連項目
政治局常務委員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:00 UTC 版)
中国共産党第17期政治局常務委員には、胡錦濤直系である共青団出身の李克強も習と同じ第5世代の中核として選出され、習と李のいずれかがポスト胡錦濤となると見られたが、習が李よりも党内序列が上であり、また、胡自身も党総書記就任までの2期10年を中央書記処書記として経験を積んだことを考えると、習がポスト胡錦濤に一番近い存在であった。なお、習はかつて中央軍事委員会弁公庁秘書や南京軍区国防動員委員会副主任などを務めており、第17期政治局常務委員で唯一国防文官の経歴を有する人物であった。この事は習と軍部との結びつきを強める一因ともなった。
※この「政治局常務委員」の解説は、「習近平」の解説の一部です。
「政治局常務委員」を含む「習近平」の記事については、「習近平」の概要を参照ください。
政治局常務委員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 16:38 UTC 版)
2012年11月15日、第18期1中全会で習李体制が発足すると、王は党中央政治局常務委員、党中央規律検査委員会書記に選出され、同じ太子党で陝西幇であるだけでなく、習近平の旧識でもあることから習政権の事実上の「ナンバー2」と見られ、「習王体制」とも呼ばれていた。王は中国からヨーロッパを跨いだモンゴル帝国史に精通する日本の歴史学者である岡田英弘を高く評価するなど史学研究者出身であることからシルクロード経済ベルトを掲げる習近平の歴史観にはかつて陝西省でともに歴史研究に興じた王の影響があるともされる。翌年3月16日、李克強内閣の発足に伴い、国務院副総理を退任。王は党中央規律検査委員会書記に就任して直ちに腐敗官僚の摘発を指揮しているが、汚職の嫌疑により摘発された官僚の大半は江沢民派の人物であった。これについては王が「2017年の第19回党大会で、最高指導部入りする可能性のある胡派の次世代指導者の周辺にターゲットを絞り、調査したのではないか」と指摘する説がある。また、反腐敗名目で権力闘争を繰り広げてきた王の一族にもドイツ銀行の筆頭株主だった海航集団との癒着疑惑が報じられたこともあった。 2017年9月、ドナルド・トランプ政権の有力者だった元アメリカ合衆国首席戦略官・大統領上級顧問のスティーブン・バノンと中南海で90分間に及ぶ密談を行ったことはその去就に憶測を呼んだ。同年10月の中国共産党第十九回全国代表大会と第19期1中全会では、習の慰留があったとされるにも関わらず、王岐山は68歳を定年とする慣例を守って留任しなかったため、政治局常務委員と中央規律検査委員会書記の後任には同じ陝西幇で陝軍の一人とされる趙楽際が選ばれた。しかし、退任後も習近平派の長老として隠然と影響力を保持するとする見方もあった。
※この「政治局常務委員」の解説は、「王岐山」の解説の一部です。
「政治局常務委員」を含む「王岐山」の記事については、「王岐山」の概要を参照ください。
政治局常務委員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 21:44 UTC 版)
2007年10月の第17回党大会で中央委員に再選。10月22日の第17期党中央委員会第1回全体会議(第17期1中全会)で二段飛びの政治局常務委員に選出された。同様に政治局常務委員となった習近平とともに第18期以降を支える第5世代の重要人物とされ、胡錦濤が江沢民元総書記時代に就いていた中央書記処常務書記には習近平が任命され、李は国務院党組副書記・中央財経領導小組成員として温家宝総理の補佐となったため、胡錦濤の後継者は習近平か李と目された。2008年3月17日に第11期全国人民代表大会第1回会議において国務院常務副総理に任命された。しかし、李を中国の次期党総書記(最高指導者)に推す温家宝は党内の保守派や既得権益を重んじる層(上海閥、太子党)から批判の矢面に立たされており、同年11月に4兆元の大規模な財政出動(内需拡大十項措置(英語版))を断行して世界金融危機も乗り越えた国務院副総理で習近平に近い王岐山と比較して李は危機管理が弱いと国務院内で評され、最終的に温家宝は権力闘争に敗れ、軍部や保守派が推したとされる習近平が胡錦濤の後継者に確定したという経緯が報じられた。 2012年11月15日に第18期1中全会で政治局常務委員に再選され、党総書記となった習近平に次ぐ党内序列第2位となる。同月21日、李は北京の中南海で開催された改革開放に関する座談会を主宰し、「人民がさらに良い生活を送れるようにするためには、改革開放が必要だ」と述べ、多くの改革を進めれば既得権益層の打破などにつながると主張して、習李体制の10年間で改革を進める姿勢を示した。
※この「政治局常務委員」の解説は、「李克強」の解説の一部です。
「政治局常務委員」を含む「李克強」の記事については、「李克強」の概要を参照ください。
- 政治局常務委員のページへのリンク