成立過程と上演禁止騒動とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 成立過程と上演禁止騒動の意味・解説 

成立過程と上演禁止騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 09:54 UTC 版)

タルチュフ」の記事における「成立過程と上演禁止騒動」の解説

1664年5月7日から13日にかけて、ルイ14世は、母后アンヌ・ドートリッシュならびに王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュのためと称して、実は愛妾ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールのために、ヴェルサイユ宮殿にて600人を超える貴族たちを集めて魔法の島の楽しみ」なる祝祭催したモリエールとその劇団もこの祝祭呼ばれ2日目に『エリード姫』を、5日目に『はた迷惑な人たち』を、6日目本作上演し最終日に『強制結婚』を上演した上演され演目は『はた迷惑な人たち』にせよ『強制結婚』にせよ、旧作コメディ・バレであって宮廷演じ作品としては無難な選択であった本作について、この催し公式記録は以下のように記している: この夜、陛下モリエール氏が偽善者どもを俎上にして書いた喜劇タルチュフ』を上演するよう計らわれた。劇は大変面白かったが、真の信仰によって天国への道を歩む人々と、下らぬ見栄から善行誇示するくせに悪しき行為をも行う輩との間には、たくさんの類似点があることをご承知でおられた国王陛下は、宗教問題についての細やかなご配慮から、このように悪徳と美徳似通って見せられるのを是とはされなかった。この両者は、互いに取り違えられかねないし、作者善意を疑うものではないにせよ、陛下はこの劇の公開禁じられた。そして、ほかの判断力乏し人々がこの劇を悪用せぬよう、ご自身もこの劇をご覧になるのをお控えになったのである。 この作品の上演を妨害しようとする動きは、上演前から行われていた。とくに『女房学校以来モリエール作品反宗教要素見出して彼の監視続けていた聖体秘蹟協会面々は、水面下激し妨害工作勤しんでいたが、結局本作は「魔法の島の楽しみ」においては問題なく上演された。ただ、上の記述見えるように、即日国王によって上演禁じられた。 国王夫妻上演興味深そうご覧になったとのことだが、年老いて信心深くなっていた、ルイ14世母親アンヌ・ドートリッシュなどはその諷刺に眉をひそめたという。モリエール親友であったボワローによればモリエールは『タルチュフ』を書くと、その最初三幕国王陛下朗読し見せた、この芝居お気に召された陛下たいそう褒めになったために、却ってモリエール敵方とりわけ信心家集団妬み誘ってしまった。パリ大司教ペレフィックスは信者たちを代表して陛下謁見求めタルチュフの上禁止懇請した。この請願何度も繰り返されるので、陛下モリエール呼び出し、「彼らを刺激してならない」と仰った。… とのことである。 ペレフィックスは国王と関係の深い司であったので、ルイ14世もその請願無視しきれなかった。しかし、上演禁止されたのはあくまで公の席のみでのことであって私的な上演について何の罰則もなかったため、作品観賞続けられた。そのうち彼を攻撃していたジェズイットジャンセニストの中からも好奇心から芝居鑑賞したがる者が続出した。完全な形で、つまり全5幕の形で初演が行われたのはこの頃のことであった(1664年11月29日)。コンデ大公の館で上演されたという。先述たように私的な上演には罰則がなかったからである。 モリエールの『タルチュフ序文では、この上禁止騒動次のように説明している: …この喜劇禁止され1週間後に、宮中で「隠者道化師」と題する作品上演された。国王は席をお立ちになりながら、コンデ公向かってモリエール喜劇に対してあれほど騒ぎ立てる連中が、この喜劇について一言言わないのは一体どういうことだ?」と仰った。公はそれに答えて「この喜劇はあの連中が気にもかけない天とキリスト教とを愚弄しているのに対してモリエール喜劇は彼ら自身愚弄しているのです。それは彼らにとっては耐えられないことであるからです。」と申された… 1666年国王から本作の上に関してある程度承諾得た以前国王注意受けたように刺激的な部分削除し1667年8月5日、『ペテン師』と改題して上演するも、高等法院によって翌日、再び上映禁止となった高等法院請願繰り返す相手にもされなかったため、最後の手段として戦争フランス国内にいなかった国王請願書書いて届けさせるも、上映解禁の命は結局下りなかった。同年8月11日パリ大司教ペレフィックスにより、「タルチュフ」の公的私的問わず一切の上演を禁じ違反者には破門宣告する旨の通告が発せられた。 1669年2月5日になって、ようやく上映禁止禁令解除された。これまで上演猛反発していたキリスト教狂信者たちの力が封じられたためである。即日上演され大反響呼んだ18世紀ヨーロッパで盛んになった町民劇の先駆的存在とも言える町民劇では、観客同時代生きる紳士淑女を突然襲う不幸をテーマに、主人公悲劇観客涙し共感覚え、魂は浄化され美徳愛すであろうという主張貫かれる本作品の場合オルゴン自分愚かさによって不幸がその身に降りかかるが、彼の家族は全く違う。彼らはタルチュフ正体看破しているにもかかわらずオルゴン狂信のせいで、さまざまな不幸に襲われるそれどころ財産全額贈与などという愚行によって、一家主として家族慈しねばならないオルゴン裏切られショック大きい。まさにこれは、町民劇の世界そのものである。

※この「成立過程と上演禁止騒動」の解説は、「タルチュフ」の解説の一部です。
「成立過程と上演禁止騒動」を含む「タルチュフ」の記事については、「タルチュフ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「成立過程と上演禁止騒動」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「成立過程と上演禁止騒動」の関連用語

成立過程と上演禁止騒動のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



成立過程と上演禁止騒動のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのタルチュフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS