平沼内閣とは? わかりやすく解説

平沼内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/22 09:45 UTC 版)

平沼内閣(ひらぬまないかく)は、枢密院議長平沼騏一郎が第35代内閣総理大臣に任命され、1939年昭和14年)1月5日から1939年(昭和14年)8月30日まで続いた日本の内閣


注釈

  1. ^ 弁護士、首相秘書官を経て就任。
  2. ^ 安部博純 ファシズム外交の論理と国際認識:日本外交の国際認識 その史的展開 doi:10.11375/kokusaiseiji1957.51_109 国際政治 (51), 109-128, 1974
  3. ^ 平沼内閣けさ総辞職外交新発足の必要痛感(辞表奉呈後首相声明)新聞記事文庫 政治(59-069)大阪朝日新聞 1939.8.29(昭和14)
  4. ^ 「今回締結せられた独ソ不可侵条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので、我が方は之に鑑み、従来準備来った政策はこれを打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至った」 この声明に「複雑怪奇」という表現にあるように、日本の支配者が国際情勢を判断する力を失い、自主的な外交政策を立てられなくなっていたことの証明である(遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 172ページ)
  5. ^ 平沼内閣の総辞職 社説 新聞記事文庫 政治(59-072)読売新聞 1939.8.29(昭和14)

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平沼内閣

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平沼騏一郎」の記事における「平沼内閣」の解説

「平沼内閣」も参照 1939年1月発足した平沼内閣は、基本的に第1次近衛内閣後継内閣としての性格がつよく、政策人事大部分引き継ぐとともに枢密院転じた近衛文麿自身も班列(無任所大臣)として残留してこれに協力した。 そのうえ議会が近いという事情から、近衛内閣から塩野季彦法相逓相荒木貞夫文相木戸幸一内相有田八郎外相八田嘉明商工相兼拓務相、米内光政海相板垣征四郎陸相の七閣僚留任あたかも首のすげ替え様相呈した週刊アサヒグラフ』はこれを「平沼近衛交流内閣」と皮肉っている。 しかし同時に近衛系人材でも末次信正有馬頼寧風見章のような熱烈な制度改革論者は、平沼閣僚名簿からは除かれていた。これは観念右翼評される平沼が、新体制運動制度改革論者をナチス国家社会主義亜流として警戒していたことを意味している。 最大懸案である対中問題では「爾後國民政府對手トセズ」という近衛声明に基づき汪兆銘政権成立させ、これと外交的解決を図ることで日中戦争幕引き狙ったが、意図したような中国国民党内部分断成功せず、まったくの失敗に終わる。 一方内政問題としては、戦争にともなう経済圧迫対応するために第1次近衛内閣以来国民総動員体制実務的推進し警防団設置など、米穀配給統制法・国徴用令などの制定とともに国民精神総動員委員会などを設置して挙国一致体制整えていった。 しかし、1939年昭和14年4月9日親日的みなされていた程錫庚海関開港場税関監督抗日ゲリラ暗殺狙撃され事件がおこり、犯人潜伏し天津イギリス租界での事件調査めぐってイギリス犯人引き渡し拒否して対立した本間雅晴天津防衛司令部の名で陸軍英仏租界交通制限し、英租界事実上封鎖するという問題発展していく(天津租界封鎖事件)。 平沼外交交渉によってこの問題解決図り有田・クレーギー協定英国譲歩勝ち取るものの、これがアメリカ反発呼び1939年7月26日日米通商航海条約廃棄通告され、また閣内英米派とドイツ派との対立深める結果となり、政権混迷する野村グルー会談にのる新条約、暫定条約試み成功せず日米通商航海条約1940年1月26日失効)。 さらに1939年8月20日ノモンハン日本軍記録的大敗喫する国境紛争がおきた(ノモンハン事件)。また8月23日独ソ不可侵条約締結され防共標榜しドイツとともに反ソ勢力結集政治課題としつつ軍事同盟ドイツ討議していた平沼は、日本政府無視した容共姿勢転換したドイツやり方驚き呆れ8月28日欧洲天地複雑怪奇」という声明とともに総辞職した。 なお独ソ不可侵条約締結発表前から、独ソ接近情報世界的に広まっており、1939年7月7日日支事変二周年記念式典にて平沼対し新聞記者が「独ソ接近説について如何」と意見求め平沼は「通商等の経済上の問題接近が無いとは断言出来ない。しかし、政治的に独ソの間の接近があるなぞとは認めない」と返答していた。外交的な敗北いえよう

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