工藤利三郎撮影写真ガラス原板とは? わかりやすく解説

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工藤利三郎撮影写真ガラス原板

主名称: 工藤利三郎撮影写真ガラス原板
登録番号 4
枝番 0
登録年月日 2008.07.10(平成20.07.10)
部門種別 歴史資料
ト書
員数 1025
時代区分 明治大正
年代
検索年代
解説文: 近代美術写真家工藤三郎一八四八一九二九)は、嘉永元年阿波国出生した東京写真術を身につけたのち明治十六年(一八八三)頃に帰郷し徳島にて営業写真館開業していたが、同二十六年四五歳の時に奈良猿沢池東畔に移住し古美術・古建築専門写真館工藤精華苑」を開き古美術・古建築写真販売する傍ら撮影活動行った同郷歴史学者喜田貞吉や、岡倉天心などと親交を結び、しだいに古美術写真家として評価得た撮影場所地元奈良寺社中核とし、近隣京都をはじめ近畿地方が主であったが、東京帝室博物館中尊寺日光臼杵などにも足跡残した彫刻数多く撮影し生涯撮影数は「五千ノ多キヲ数フルニ至レリ」と記す。また、明治四十一年から大正十五年(一九二六)にかけて、大型写真集日本精華一一冊を小川一真の手によるコロタイプ印刷にて出版し日本美術内外への普及貢献した事績注目される昭和四年、奈良にて八一歳で歿した。
 本資料は、奈良移住後撮影した明治・大正時代古美術・古建築写真等のガラス原板大半ガラス乾板ネガ)で、四切判キャビネ判の二種がある。ガラス乾板は、従来湿板法に比して取扱い簡易で、かつ感度も高いことから、明治二十年代より急速に普及していた。
 残され原板被写体は、古美術品が全体の八割、古建築が一割、その他一割という内容で、一部写真複写した原板含まれる被写体なかには奈良興福寺木造阿修羅像、同東大寺大仏殿などをはじめ、明治三十年の古社寺保存法施行後行われた修理以前の姿をとらえたものが多数存するまた、昭和二十五年に焼失した京都鹿苑寺金閣木造足利義満坐像など焼失したもの、あるいは奈良法隆寺金堂壁画など焼損したものなども含まれる
 工藤美術写真は、多く自然光にて撮影したところに特徴がある。特に仏像写真は、陰影抑え全身正面あるいは側面)を写し込むことに意識払い時には背面撮影も行うなど、撮影者の主観控え記録性を重視した資料性の高い写真であると評価される
ガラス原板は、近代文化財保護行政画期となった古社寺保存法施行前後まとまった文化財記録写真として資料価値が高い。当該資料は、工藤家親族より奈良市寄贈され、現在は入江泰吉記念奈良市写真美術館保管されている。
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