資料価値
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:44 UTC 版)
本文の内容は『古事記』・『日本書紀』・『古語拾遺』の文章を適宜継ぎ接ぎしたものが大部分であるが、それらにはない独自の伝承や神名も見られる。また、物部氏の祖神である饒速日尊(にぎはやひのみこと)に関する独自の記述が特に多く、現存しない物部文献からの引用ではないかと考える意見もある。 巻三の「天神本紀(てんじんほんぎ)」の一部、巻五の「天孫本紀(てんそんほんぎ)」の尾張氏、物部氏の伝承(饒速日尊に関する伝承等)と巻十の「国造本紀(こくぞうほんぎ)」には、他の文献に存在しない独自の所伝がみられる。「天孫本紀」には現存しない物部文献からの引用があるとする意見もあり、国造関係史料としての「国造本紀」と共に資料的価値があるとする意見もある。 青木和夫は巻五の「天孫本紀」は尾張氏,物部氏の古来の伝承であり、巻十の「国造本紀」も古い資料によっているとする。 新野直吉は「国造本紀」について「畿内大倭から多鳥(たね)までの大化前代の地方官豪族である国造(くにのみやつこ)名を掲げ、その系譜と任命設置時を示している。後世の国造である律令国造の名や国司名も混入しているが、他に例のないまとまった国造関係史料なので、独自の価値を持ち古代史研究の史料となっている。」とする。 佐伯有清は『鎌田純一著『先代旧事本紀の研究』全二巻(1960、62・吉川弘文館)』を参考文献にあげて「天孫本紀」「国造本紀」は史料として重要とする。 上田正昭は「私もまたおりあるごとに『先代旧事本紀』はたんなる「偽書」ではなく、貴重な古典である所以について言及してきた」、『先代旧事本紀』には注目すべき内容が多々あると述べている。 鎌田純一は今も宮中で大嘗祭・新嘗祭前日に行われる鎮魂祭での御玉緒糸結びの儀、宇気槽を衝く儀、御衣振動の儀において『先代旧事本紀』に記されている十種神宝に関する唱え言葉を唱えることからも重要な資料であると記している。饒速日尊の降臨した「河内国河上哮峯」伝承地は、住吉大社の社伝『住吉大社神代記』の「膽駒神南備本紀」にて神南備である生駒山の北限を饒速日山と記載してあることから、大阪府交野市磐船神社近辺と推定している。 渡邉卓は「平安時代には既に成立していたことは間違いない……偽書説を経ることにより、かえって本文に残された古伝の価値が指摘されたのであった」と評価している。 心理学者の安本美典は物部氏の伝承や国造関係の情報は貴重であり、推古朝遺文(推古天皇の時代に書かれたとされる文章)のような古い文字の使い方があり相当古い資料も含まれている可能性があるとする。大和岩雄の饒速日尊の降臨した「河内国河上哮峯」伝承地について、河内国交野郡は交野物部の本貫地であること、「天神本紀」の天物部二十五部・肩野物部の肩野は交野であること、饒速日尊の六世孫・伊香色雄命の子・多弁宿禰が交野連の祖先と記載されていること、饒速日尊の十三世孫・物部の目の大連の子の物部臣竹連公が交野の連らの祖先であるとも記載されていることから哮峯は河内国讃良郡西田原・磐船山(饒速日山)説等から1713年貝原益軒 『南遊紀行』、1789年平沢元愷「漫遊文草」、1801年秋里籬島河内名所図会にも書かれた北河内磐船説が南河内説よりも有利との推定を支持している。 法学者の蓮沼啓介は「天神本紀」、「天孫本紀」、「国造本紀」に資料価値を認めつつも、これらの巻にも「後世に加筆した疑わしい記事が混じっている。」として、批判的に扱うべきであるとする。
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