左沢楯山城跡とは? わかりやすく解説

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左沢楯山城跡

名称: 左沢楯山城跡
ふりがな あてらざわたてやまじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 山形県
市区町村 山形県西村山郡大江町
管理団体 大江町
指定年月日 2009.02.12(平成21.02.12)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 寒河江荘地頭職相伝した大江氏一族左沢氏によって構築され城跡である。東西480m、南北520m程の規模で、八幡座呼ばれる標高222mの小規模な曲輪を最頂部とする。天正年間(1573-92)に最上氏によって攻略され、その直轄地となり、最上氏改易元和8年〈1622〉)後、酒井氏南西平地新たに漆川城を築城するに至り廃された。大江町教育委員会による発掘調査結果15世紀後半から17世紀前葉存続期間確認され掘立柱建物や池状遺構等遺構検出されている。段状の曲輪切岸堀切等が良好に残り、自然の沢も取り込んで城域構成されている。遺物には中国産・朝鮮半島産の貿易陶磁含まれる左沢村山地方から南の置賜地方抜け交通の要衝で、最上川流路転換点にもあたっている。左沢氏とその一族伊達氏最上氏等との抗争を軸に展開した村山地方中世から近世に至る動向を知るうえで、重要な城跡である。



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