ちゅうそん‐じ【中尊寺】
ちゅうそんじ 【中尊寺】
中尊寺
中尊寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/20 01:35 UTC 版)
中尊寺(ちゅうそんじ)は、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院。奥州三十三観音番外札所。山号は関山(かんざん)、本尊は釈迦如来 [1]。寺伝では円仁の開山とされる。実質的な開基は藤原清衡。
注釈
- ^ 17か院のうち、大徳院は南方の離れた場所にあり、常住院、利生院、円教院、円乗院は金色堂南方の一般道沿いに位置する。
- ^ 1962年に「能面延命冠者1面」として重要文化財に指定(昭和37年6月21日文化財保護委員会告示第26号)。2020年に「翁」2面、「老女」1面を追加指定のうえ、指定名称を現行のものに変更(令和2年9月30日文部科学省告示第119号)。
出典
- ^ 中尊寺本堂新本尊釈迦如来開眼法要(平泉観光協会公式ブログ)
- ^ 中尊寺境内(1979年〈昭和54年〉5月22日指定、特別史跡)、国指定文化財等データベース(文化庁) 2014年7月11日閲覧。
- ^ “Barbados enters World Heritage List with Bridgetown and its Garrison; Hiraizumi (Japan) and Germany’s Beech Forests also inscribed” (英語). UNESCO News Archive. ユネスコ (2011年6月25日). 2011年6月26日閲覧。
- ^ 胆沢郡、江刺郡、和賀郡、稗貫郡、紫波郡、岩手郡を指す
- ^ たとえば須藤、岩佐『中尊寺と毛越寺』pp5 - 7。
- ^ 建武元年(1334年)の「中尊寺大衆訴状」による。
- ^ 中尊寺大長寿院所蔵(顕家本)NHK仙台放送局 & NHKプラネット東北 2008, pp. 38–39[写真掲載あり]
- ^ 中尊寺落慶供養願文
- ^ 一関市博物館 2008, pp. 22–23[写真掲載あり]
- ^ 須藤、岩佐、pp25 - 50。
- ^ 須藤、岩佐、pp14 - 15。
- ^ 佐々木邦世『平泉中尊寺』(吉川弘文館、1999年)所収。
- ^ 須藤、岩佐、pp15。
- ^ 『吾妻鏡』承元四年五月小二十五日壬子条
- ^ 国宝指定は2004年、平成16年6月8日文部科学省告示第110号
- ^ 国宝指定は2001年、平成13年6月22日文部科学省告示第115号
- ^ (中尊寺公式サイト)
- ^ 平成15年5月30日文部科学省告示第110号
- ^ 『図説日本の史跡 5 古代2』、同朋舎出版、1991、pp.32 - 33
- ^ 仙台空港・松島・平泉線運休継続のお知らせ(2023.3/1~) 岩手県北バス
中尊寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:09 UTC 版)
詳細は「中尊寺」を参照 中尊寺(ちゅうそんじ)は、平泉町にある天台宗東北大本山である。国宝の金色堂、重要文化財の経蔵などを含み、境内は国の特別史跡に指定されている。世界遺産登録IDは1277rev-001 (Chûson-ji) である。 寺伝によれば開山は9世紀の円仁で、中尊寺の寺号は清和天皇より下賜されたものという。ただし、中尊寺の寺観が整ったのは、12世紀の藤原清衡による伽藍造営時である。清衡は前九年の役で父と安倍一族、後三年の役で弟など相次いで家族を亡くしたこともあり、敵味方を区別せずに戦没者の魂を浄土へ導くことと、東北に優れた仏教文化を根付かせることを目指し伽藍を建立した。 清衡は12世紀初頭に多宝堂(最初院)を建立したのを皮切りに、多くの建造物群からなる大伽藍を建立した。二階大堂という巨大な堂宇は後に鎌倉の永福寺のモデルにもなったが、それらの建造物群は1337年の火災であらかた焼失した。金色堂は当時の姿のものが残っているが、本堂は1909年に再建されたものである。 金色堂 金色堂(こんじきどう)は国宝に指定されている阿弥陀堂である。藤原清衡によって建立され、棟木銘から1124年(天治元年)に完成したことが判明する。高さ8m、平面の一辺が約5.5m で、堂内外の全面に金箔を張り、柱や須弥壇には蒔絵、螺鈿、彫金をふんだんに使った華麗な装飾がほどこされている。須弥壇上には阿弥陀如来を中心に多くの仏像を安置し、須弥壇内部には清衡、基衡、秀衡のミイラ化した遺体や泰衡の首級が納められている。このミイラの存在はかつてアイヌの習俗と結び付ける見解も提示されていたが、現在では、当時の京都でも見られた仏教の様式を取り入れたものと理解されている。 当時の建造物群があらかた焼失した中尊寺にあって、創建当初の姿を伝える貴重な建造物であり、2006年に行われた巻柱の年輪年代学による年代鑑定の結果からもそれは裏付けられた。 覆堂 国宝の金色堂は現在コンクリート造りの覆堂(さやどう、おおいどう)で守られ、ガラスケースの中に納められている。これは1970年に建造されたものであり、室町時代中期に建造されたそれ以前の旧覆堂は境内の別の場所に移築され、「金色堂覆堂」の名称で重要文化財指定を受けている。 結果的に登録に差し支えることはなかったが、ICOMOS の勧告では、コンクリート製の新覆堂が景観の真正性の観点から若干問題視されていた。 経蔵 経蔵(きょうぞう)は、清衡によって奉納された『紺紙金銀字交書一切経』(こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう、国宝)をはじめとする写経群を納めていた建造物である。1126年(天治3年)の「中尊寺落慶願文」には「二階瓦葺経蔵一宇」とあり、当初は2階建てであった。1337年(康永2年)の「中尊寺梵鐘銘」によれば、この年、中尊寺の伽藍は金色堂を残して焼失した。現存する経蔵は、平安時代の古材を再用して中世に再興されたものと推定される。『紺紙金銀字交書一切経』などは現在寺内の讃衡蔵に移管されているが、経蔵の建物は重要文化財の指定を受けている。
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