完成に向けた提案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/25 05:22 UTC 版)
「スタテンアイランドトンネル」の記事における「完成に向けた提案」の解説
工事が中断した時点で、トンネルはザ・ナローズへ向けて150フィート(約46メートル)掘られただけであったが、トンネルを完成させる提案が何度かなされている。トンネルとショアロード立坑は現在、ベイリッジのオウルズ・ヘッド・パークで使われずに放置されている。スタテンアイランド側のサウス・ストリート立坑は、1946年に第二次世界大戦後のセント・ジョージ・ターミナル改築工事の際に埋め立てられた。 1929年からのIND第2路線網の提案では、スタテンアイランドのフォート・ワズワースからフォートハミルトンへの南側のトンネルルートの費用は7500万ドルであると見積もられた。ただし、トンネルは公式には地下鉄計画案の一部ではなく、計画の地図上は自動車用のトンネルとして描かれている。提案の多くは野心的な大拡張計画の一環であり、トンネルは現在のINDカルバー線にあたる、INDサウス・ブルックリン線につなぐことになっていた。1931年に改訂された提案では、スタテンアイランドから来たトンネルは北へ向かってレッドフック(英語版)とゴワーナス(英語版)を通り、現在のスミス・ストリート-9丁目駅においてIND路線網につながることになった。1933年のさらなる改訂案では、セントジョージとベイリッジの67丁目の間を走る当初の経路で4500万ドルかかると見積もった。この路線はそこから2番街を北にブルックリンの西海岸のベイリッジフラッツを通り、ハミルトン・アベニュー(現在のゴワーナス高速道路)の近くのスミス・ストリート-9丁目駅と4番街駅の間でカルバー線へ合流することになっていた。ハイランの時に作ったトンネル立坑を使う提案がされていた。この延長工事のために4700万ドルの融資を受ける提案が1937年にニューヨーク市予算委員会(英語版)の承認を受けた。 サウスブルックリン線の完成後、1939年に再度見直されたIND第2路線網では、当初のベイリッジ経由計画を維持し、またINDカルバー線からフォート・ハミルトン・パークウェイ、10番街を通ってトンネルに至る路線を延長することになっていた。IND路線網との接続は、フォート・ハミルトン・パークウェイ駅(カルバー線の急行線が通りの下で異なる階層を走っている区間にある)の近くか、チャーチ・アベニュー駅の近く(かつての路線終点駅)で行うことになっていた。このチャーチ・アベニュー駅接続では、現在G系統の列車の折り返しに使われている駅すぐ南側の下層階にあるヤードを役立てることになっていた。しかし進行中の世界恐慌と、その後の第二次世界大戦により、こうした計画のどれにも予算が付くことはなかった。 1945年に交通委員会が1946年に向けた予算案の一環として、ニューブライトンとブルックリンのBMT4番街線を結ぶトンネルが市の計画委員会に提出され、この時は費用は5061万ドルとされた。1945年後半には、リッチモンド郡の交通需要に関するフィオレロ・ラガーディア市長の特別委員会の報告によれば、マンハッタンとスタテンアイランドを結ぶトンネルは「考えられない」、ブルックリンとスタテンアイランドを結ぶトンネルは「現在は実現不可能だが、10年待つべきである」とされた。この委員会の委員長で、大量輸送交通機関に反対していることで知られたロバート・モーゼスは、スタテンアイランドとブルックリンやマンハッタンを結ぶ交通の改善の最善案は、セントジョージターミナルを改良してスタテンアイランドとマンハッタンを結ぶフェリーをさらに頻発し改良すること、ブルックリンの39丁目とスタテンアイランドを結ぶフェリーの24時間運航を再開すること、そして39丁目においてゴワーナス高架橋へ上る階段を建設することであるとした。 さらにその後、ヴェラザノ=ナローズ・ブリッジが1959年から1964年にかけて建設される際には、鉄道も通すことが提案された。橋は計画されていたトンネルと同じ位置にあることから、95丁目駅はこの当時世界最長の吊り橋への接続を計画していた。しかし、モーゼスがニューヨークの公共交通網拡張に反対していたことから、橋に線路のスペースは設けられなかった。 より近年のトンネル完成提案としては、ニューヨーク市議会議員のルイス・フィドラー(英語版)が提案しており、ニューヨーク都市圏に1パーセントの税金を課してそのうちの3分の1をトンネル建設に充てようと2007年に提案した。アクセス・トゥ・リージョンズ・コア(英語版)計画のトンネルは、2010年10月にニュージャージー州州知事のクリス・クリスティによって中止されたものの、このトンネルに割り当てられていた連邦政府の30億ドルに上る資金をめぐっては他にもいくつかのプロジェクトが競合しており、スタテンアイランドトンネルもその1つであった。ブルックリンやスタテンアイランドの一部を選挙区に含む州上院議員のダイアン・サビノ(英語版)もまた、「MTAはスタテン島のヴィクトリー・ブールバードからブルックリンへ出て67丁目に沿い、R系統の列車で4番街に沿って走る、旅客と貨物輸送のためのトンネルという1912年の計画を完成させるべきである」と述べて計画を支持した。この計画飲み込まれている費用は30億ドルであり、「ハドソン川をくぐってニュージャージー州へ伸ばす提案がされているニューヨーク市地下鉄7系統延伸と同じ費用である」としている。計画支持者たちは、鉄道トンネルができればスタテンアイランド住民の生活の質を改善し、交通量を減らし、この地域への投資をより魅力的にすると述べている。
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