外部構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:16 UTC 版)
各部位の名称を示す。 左はアングロ・コンサーティーナ、右はイングリッシュ・コンサーティーナ。 英語日本語説明1 button(s) ボタン 「ボタン鍵盤」とも言う 2 air valve button エアバルブ・ボタン 空気抜き弁を開閉するボタン 3 grille(s) グリル 「友孔板」とも言う 4 palm rest(s) パームレスト 「掌台(しょうだい)」とも言う 5 hand strap(s) ハンドストラップ アングロのみ 6 end frame(s) エンドフレーム 「筐体(きょうたい)」とも言う 7 bellows frame(s) ベローフレーム 「蛇腹枠(じゃばらわく)」とも言う 8 bellows 蛇腹 「ベロー」とも言う 9 bellows strap(s) 蛇腹どめバンド 一部のアングロのみ 10 thumb strap(s) 親指ベルト イングリッシュのみ 11 finger rest(s) フィンガーレスト 「小指置き」。イングリッシュのみ 通常、イングリッシュ・コンサーティーナにハンドスラップはないが、立奏用に手首バンドをカスタマイズした例。1943年、スペインのサーカスの有名なピエロ(Charlie Rivel)の写真。 アングロ・コンサーティーナの皮革製ハンドストラップに、自分でフェルトとリボンを巻き、感触とサイズを調整した例。 親指で操作する針金状のレバー式エアバルブがついている、ヴィンテージ・モデルのイングリッシュ・コンサーティーナ。
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外部構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:28 UTC 版)
ケムニッツァ・コンサーティーナと非常に似ている。以下、アルゼンチン・タンゴで最も普通に使われている「ライニッシュ式配列」のバンドネオンの写真を示す。 アルフレッド・アーノルド・バンドネオンの右手側(高音側)。各ボタンにふられた数字や記号にも注目。親指は空気抜きレバーに触れている。手首のあたりは模様付きのグリル(格子窓のような穴をあけた板)になっている。 同、中央。蛇腹の上部に、Ω形の小さな紐通しが2個ついている。この金具はバンドネオンを首から紐で吊り下げるための紐留めで、ドイツで立奏していた時代のなごり。 同、左手側(低音側)。ボタン鍵の並ぶ形が右手側と少し違う。手首のあたりは化粧板の共鳴箱(チャンバー)なので、音色は右手側よりややソフトでくぐもった感じになる。 左手側のチャンバーを別角度からのぞくと、半月状の穴が見える。
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外部構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 15:38 UTC 版)
当該暗室の外形は小中学校の体育館ほどの大きさになるが、体育館同様、当該暗室内に柱など構造材を置くことができない。さらに屋根を支えるだけの軽量トラス構造を取れる体育館とは違い、シールドルーム構造や内部の電波吸収体などの重量物を柱なしで支えるために強固な鉄筋コンクリート製の建物とする必要がある。
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外部構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 15:47 UTC 版)
裏町古墳は西向きの前方後円墳で、後円部の径は27メートルあった。前方部は13メートルを残してその先が壊されていたため、正確なところは不明である。合わせて全長40メートル以上となる。前方部の幅は、後円部との接続部分で7メートル、残存箇所の最大部分で14メートルあった。基底部からの高さは後円部が4.5メートル、前方部が0.8メートルであったが、本来の後円部はこれより高かったと思われる。以上は発掘調査報告書によるもので、後に刊行された『仙台市史』は、全長50メートル、前方部の長さ15メートル余り、後円部の高さ約6メートル、前方部の高さ約3メートルとしている。 墳丘には、円筒埴輪がめぐらされた。原位置がわかるものは少なかったが、後円部では三重の円として、前方部では縁辺に配置され、前方部と後円部の接点に他と異なる小型の埴輪が置かれたと推定される。形象埴輪はなかった。 墳丘の裾には葺石が帯状に付けられた。その幅は後円部で約1.5から約1.7メートル、高さにして約60から80センチ。葺石の幅は、直径20から30センチの礫を、後円部では8から9個積み上げて作られた。 裾から3、4メートルほど離れた外側に、溝が掘られていた。深さは25センチメートルから80センチメートルと浅い。底にある固い砂礫層を掘り抜けなかったためと推定される。外側の縁を検出できなかったため、幅は不明である。
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