壺絵
壺絵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 15:37 UTC 版)
「古代ギリシアの陶芸」も参照 アルカイック期には壺の装飾にも変化が起こった。幾何学文様期の、パターンを繰り返すよ様式から、東方に影響された東方化様式、黒絵式、および赤絵式の技術を使用するようになった。 ギリシアの陶器の装飾については、この時代、抽象的なものから形象的な様式へと変化した。紀元前8世紀は、暗黒時代の幾何学文様から離れ、フェニキアやシリアからの影響を受けて東方化様式が発展した。 紀元前7世紀初頭に、コリントスの壺絵師が黒絵式を発案した。壺職人たちは下絵や構図のために、壺の粘土に彫りこみをした。 アルカイック期の末期には、アテナイで赤絵式が考案された。最古の例は紀元前525年頃、壺絵師のアンドキデスによって絵付けされたと考えられているものである。 赤絵式の考案と同時期に、白地技法やシックステクニック(英語版)などの技法が発展した。
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壷絵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/22 13:43 UTC 版)
クラテールの首部分にある最上段の帯状装飾のA面にはカリュドーンの猪狩りが描かれており、メレアグロス、ペーレウス、アタランテーといった英雄が描かれている。その両側にはハスの花と唐草模様で区切られてスフィンクスが描かれている。その反対側(B面)には、竪琴をひくテーセウスに率いられて踊るアテナイの若者たちと、それに相対するように立っているアリアドネーとその乳母が描かれている。 A面の2番目の帯は、アキレウスが取り仕切ったパトロクロスの葬儀での戦車競走を描いたもので、トロイア戦争最後の年のことである。アキレウスは賞品の1つと思われる青銅製三脚台の前に立ち、競走には英雄ディオメーデースとオデュッセウスが参加している。B面に描かれているのはラピテース族とケンタウロスの戦いである。彼らの戦いで最も有名なのはペイリトオスとヒッポダメイアの結婚式で起きたものだが、ここに描かれているのもその場面と見られ、その証拠にラピテース族ではないがペイリトオスと友人で結婚式にも出席していたテーセウスが戦いの中に描かれている。また、同じ場面でラピテース族の英雄カイネウスの死も描いている。 陶器の最も突出した部分にある一番幅の広い帯状装飾は、両面を使ってペーレウスとテティスの結婚式に参列した神々を描いている。行列に描かれている人物像が多いため、この一番長い帯を装飾するのにふさわしい題材である。行列の先頭の先に祭壇とテティスが中で座っている家があり、その間にペーレウスが描かれている。ペーレウスは行列の先頭にいる先生でケンタウロスのケイローンと挨拶しており、ケイローンの背後には伝令神イーリスを初めとして多くの神々が描かれている。 A面の上から4番目の帯状装飾は、アキレウスによるトロイ城門外でのトローイロス待ち伏せ、B面はヘーパイストスのオリュンポスへの帰還を描いている。ヘーパイストスはディオニューソスに導かれたラバに乗っており、その後ろからサテュロスとニンフの一団がついて来ている。 5番目の帯状装飾はハスの花と唐草模様を側面に配してスフィンクスとグリフィンが描かれ、他に牛、豚、馬を襲うヒョウとライオンが描かれている。 土台部分には両面に鶴と戦うピュグマイオイが描かれている。 取っ手にも装飾があり、外側の上の方には "Mistress of Animals"(動物の女主人)と呼ばれる像が描かれ、その下にアキレウスの遺体を運ぶ大アイアースが描かれている。取っ手の内側のクラテールの口より高い部分には生きているゴルゴーン(首だけではない)が描かれている。
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