通訳
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通訳(つうやく、英: interpreting または 英: interpretation)とは、書記言語ではない二つ以上の異なる言語を使うことが出来る人が、ある言語から異なる言語へと変換することである。つまり一般的には、異なる言語を話す人たちの間に入り、双方の言語を相手方の言語へと変換し伝えることである。
注釈
出典
- ^ “The Origins of Simultaneous Interpretation: The Nuremberg Trial”. books.google.com. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “Interpretation Equipment”. eventtechnology.org. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “The History of Simultaneous Interpretation”. translationexcellence.com. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “Simultaneous Interpretation Blog”. www.infinitytranslations.com. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “Simultaneous interpretation and its history”. lingoservice.com. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “Yvonne Kapp, Time Will Tell, 2003”. d-meeus.be. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “The Origins of Simultaneous Interpretation Equipment”. www.unitedtranslations.com. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “The Fascinating History of Simultaneous Interpretation”. nilservices.com. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “Translators Through History”. books.google.com. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “Introducing Interpreting Studies”. books.google.com. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “Translators Through History”. books.google.com. 2024年3月14日閲覧。
- ^ [1]
- ^ [2]
同時通訳 (simultaneous interpreting)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 22:59 UTC 版)
「通訳」の記事における「同時通訳 (simultaneous interpreting)」の解説
同時通訳は、話者の話を聞くとほぼ同時に訳出を行う形態であり、通訳の中でもいわゆる花形的な形式である。異言語を即座に訳す能力が必要とされるほか、相手の発言内容をある程度予測する必要もある。通例通訳者は、ブースと呼ばれる会場の一角に設置された小部屋に入り、その中で作業を行う事になる。通訳者の音声はブース内のマイクを通して聴衆のイヤフォンに届けられる。同時通訳作業は非常に重い負荷を通訳者に要求するため、2人ないしは3人が同時にブースに入り15分程度の間隔で交代する。頭を非常に使うため、休憩時はチョコレートのような糖分の高いものを即座に口に入れるという。時にはブース内の控えの通訳者が、単語の提供など訳出の協力もする。多言語間通訳が行われる国際会議で特に多用されるが、多言語地域であるヨーロッパでは通訳の需要のほとんどが同時通訳である。原則的に国際会議の場では、訳出し後の言語(アウトプット言語)は通訳者の母語であることが求められているが、日本人通訳者のみ例外的に他言語へのアウトプットも行い、それが認められている。日本語×他言語のハイレベルな通訳者が世界的に不足しているためである。
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同時通訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 05:14 UTC 版)
イスパニア語学科に入学し、スペイン語の習得に追われるなかで、英語を話す能力が落ちていることに気づき、危機感を抱く。1966年、国際会議のアルバイトを始めたところ、会議の場で行われている同時通訳に関心を持ち、前年に設立された国際会議運営会社アイ・エス・エスの訓練生となった。自らが習得した英語がアメリカの高校生のような英語であることを指摘され、語彙も含め、アメリカでもイギリスでもない中庸の「大人の英語」を強く意識して取り組むようになる。 同年11月、国際青年会議所会議で同時通訳者としての活動を開始。最初のメディア出演は木島則夫モーニングショーで、準レギュラー格として頻繁に登場し、司会者が奈良和になるころまで出演した。 同時通訳の神様と称された國弘正雄にはじめて会った際、難解な漢語や四字熟語を多用して小馬鹿にしたような態度をとる國弘に当惑しつつも「同時通訳を一生の仕事としたい」と語る鳥飼に対して、國弘は「君もいつかは自分の歌が歌いたくなるよ」と述べた。とはいえ、駆け出しの学生に対して「神様」は意外に親切で、1967年には國弘の代役としてアーノルド・J・トインビーと若泉敬のテレビ対談において通訳を務めるなど、なにかと仕事をまわしてくれたという。 1969年3月、上智大学を卒業。1969年7月、アポロ11号の月面着陸の際には、ミスター同時通訳・村松増美とともに生中継(テレビ朝日)を担当。1970年、大阪万博の期間中に週1回(全21回)放送された「万国博アワー」(NHK総合)のサブ司会者兼通訳者を務め、ギャラクシー賞第13回期間選奨を個人で受ける。1971年、『こんにちわ鳥飼玖美子です』を出版し、さらに衆目を集めた。1971年4月からラジオ番組「百万人の英語」の講師を務め、1992年9月の番組終了まで21年間にわたって出演。 1973年の結婚後も「鳥飼玖美子」名で活動を続けた。子育てのため仕事量を徐々に減らしつつ、同時通訳には1986年ごろまで携わった。その後、鳥飼は國弘の予言どおり「自分の歌」を歌うことになる。
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