ウィキペディア |
若泉敬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/09/24 23:59 UTC 版)
若泉 敬(わかいずみ けい[1]、1930年(昭和5年)3月29日 – 1996年(平成8年)7月27日)は、日本の国際政治学者。沖縄返還交渉において、佐藤栄作の密使として重要な役割を果たしたとされる人物。
- ^ 本来の読みはたかしであるが、外国人が発音しやすいようにけいと名乗るようになった。後藤乾一『「沖縄核密約」を背負って』岩波書店、2010年、2ページ。
- ^ 明治大学に進学し、卒業後、司法試験に合格、福井県初の女性弁護士となる。1959年、若泉と結婚。1985年6月23日心筋梗塞により死去。
- ^ 明治大学は1950年12月に退学。
- ^ アメリカの要人・知識人との交流の一端は、中央公論1961年3月号の「オピニオン・リーダー会見記」からうかがうことができる。
- ^ 陸奥宗光が『蹇蹇録』で、三国干渉受諾について「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(他に方法はなかったのだと信じたい)と書き記したことにちなむ
- ^ トインビーとの出会いは、後に『トインビーとの対話―未来を生きる』と題する著作に結実する。
- ^ 「「核密約」遺書でわびる 密使として関与の故・若泉敬氏」『琉球新報』2005年5月14日。
- ^ 手嶋龍一「変貌する日米同盟-東アジアのなかの日本」、琉球フォーラム Vol. 171 /2007 July
- ^ a b 「沖縄返還38年目の真実 谷内正太郎・政府代表が語る「核再持ち込みの密約はあった」」『週刊朝日』2009年5月22日号、朝日新聞2010年3月11日付社会面。なお、若泉が「密使」を務めていた時期、学生だった谷内は若泉に師事していた。谷内正太郎『外交の戦略と志――前外務事務次官 谷内正太郎は語る』(産経新聞出版, 2009年)
- ^ 「72年沖縄返還時、『核密約』示す米公文書を発見」『読売新聞』2007年10月7日;信夫隆司「沖縄核密約の"発見" 」『法学紀要(日本大学)』49号(2007年)。
- ^ “核密約文書、佐藤元首相邸に…初の存在確認”. 読売新聞. (2009年12月22日)
- ^ 北岡伸一『自民党―政権党の38年』(読売新聞社、1995年/中央公論新社[中公文庫]、2008年)、pp.148-149.
[続きの解説]
固有名詞の分類
- 沖縄返還の代償 密使・若泉敬「破滅の生涯」J-CASTニュース
若泉敬に関係した商品
- 【送料無料】評伝若泉敬楽天ブックス
- 【送料無料】 「沖縄核密約」を背負って 若泉敬の生涯 / 後藤乾一 【単行本】HMV ローソンホットステーション R
- 【送料無料】 評伝若泉敬 愛国の密使 文春新書 / 森田吉彦 【新書】HMV ローソンホットステーション R
若泉敬のページへのリンク