主演俳優に
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映画会社大手5社全てからさまざまな好条件を提示され、専属俳優にと望まれたが、舞台へのこだわり等から、結局どの会社とも専属契約を締結せずフリーランスの道を歩み続けた。この背景もあって、原則として「1年の半分は演劇」と定めることができ、五社協定に縛られることなく映画出演の機会に恵まれた。1959年(昭和34年)から1961年まで六部で総上映時間が約10時間の『人間の條件』で主人公・梶に起用される。撮影が1年半に及んだこの作品で、仲代は監督の小林正樹も感服する演技を見せた。同年には犯罪者に扮した『野獣死すべし』も公開。 東宝では三船敏郎に対抗できる敵役俳優として、『用心棒』(1961年)の監督・黒澤明から出演依頼を受ける。『七人の侍』出演時に黒澤から散々NGを出された記憶もあって「立派な役者になって、二度と黒澤組には出ない」と心に決めていた仲代は当初出演をきっぱりと固辞したが(「いやあ、気持ちよかったな」とは本人の弁)、黒澤本人に呼び出されて説得されたため出演することにし、洒落者だが残忍なヤクザを演じる。翌年の『椿三十郎』でも続けて起用され、今度は再び悪役ながらも剛直な武士を演じ、仲代の風格と演技力を買った黒澤の期待に応えた。1963年(昭和38年)には『天国と地獄』で誘拐事件の捜査を指揮する警部役を演じ、犯人との相似すら感じさせる異常な執念に個性を発揮した。 他映画では『鍵』(1959年)、『娘・妻・母』(1960年)、『女が階段を上る時』(1960年)、『切腹』(1962年)、『怪談』(1964年)、『上意討ち 拝領妻始末』(1967年)、『憂愁平野』(1963年)、『四谷怪談』(1965年)、『大菩薩峠』(1966年)、『殺人狂時代』(1967年)などに出演した。1968年(昭和43年)にはイタリア映画『野獣暁に死す』に出演、アジア系ではなくメキシコ・インディアンの血を引くという設定のアメリカ人の悪役であった。1960年代には斜陽期となった映画界を支える新進の代表格とみなされるようになり、先述通り舞台俳優としても引き続き活躍、俳優座の看板俳優として演劇界にも地位を確立する。 1970年代には山崎豊子原作・山本薩夫監督の政財界もの映画『華麗なる一族』(1974年)で準主役を一人二役で、同じ原作・監督による『不毛地帯』(1976年)では主役を務める。特に『不毛地帯』での壱岐正 役での演技は適役として高く評価された。その2作の間の同じ山本監督作品(こちらの原作は石川達三)『金環蝕』(1975年)にも主演起用され、冷酷な官房長官を演じている。映画俳優としてはフリーを通しながらも東宝への出演が多く、会社別を基本として編纂されたグラビア叢書セット「戦後日本映画黄金時代」(日本ブックライブラリー1978)では「東宝の主役」の巻に収録されている。一方テレビドラマにおいては、1972年のNHK大河ドラマ『新・平家物語』で平清盛を演じ、清盛が出家する後半では実際に剃髪している。その後の大河ドラマの出演は、1996年の『秀吉』で主人公の秀吉(演・竹中直人)を支えながらもささいなすれ違いからやがて死に追いやられる千利休を、2007年の『風林火山』で主人公の山本勘助(演・内野聖陽)の仇となり勘助の武田家仕官の原因を作った武田信虎を演じた。舞台で鍛え抜いた明瞭で強靭な発声を生かした正統派の主役ヒーローだけでなく、気弱な役、コミカルな役など役柄の守備範囲は非常に広い。特に、『雲霧仁左衛門』のようなダークヒーローはともかく、一切内面が描かれずヒーローと心を通わせることもない純粋な悪役は、本来は時代劇の悪代官のように定型化した脇役になりがちだが、仲代はこうした役も『用心棒』『金環触』などで挑んで個性を吹き込み、準主役、主役に押し上げている。武将役での異色配役は『火の鳥』(1978)のジンギ役で、これは神武天皇をモデルに騎馬民族征服説を重ねて創作された役柄だが、英雄であり悪役であり喜劇的でもあるという仲代ならではの役どころで、衣装も日本映画でも珍しい神代ルックを纏った。 映画会社専属でなかったにもかかわらず同一の監督の作品に出演するケースが非常に多い。なおかつ長期間にわたる協業が多いのも特徴である。小林正樹13本(28年間)、岡本喜八12本(44年間)、五社英雄8本(25年間)、市川崑6本(48年間)、黒澤明5本(24年間)、成瀬巳喜男5本(6年間)などが主なところである。
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