舞台へとは? わかりやすく解説

舞台へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:27 UTC 版)

大川橋蔵 (2代目)」の記事における「舞台へ」の解説

1956年2月東横ホール最後に映画界入って以来の舞台へ。1962年8月より東映歌舞伎明治座公演7月準備のために東京へ向かい養母一緒に養父六代目尾上菊五郎墓前東映歌舞伎出演報告をした。 歌舞伎出身橋蔵主力メンバーとして出演。他に市川右太衛門片岡千恵蔵大友柳太朗東千代之介らがいる。 銀幕スターが生で見られるとあって明治座始まって以来の客入りで、明治座の扉が閉まらなかった。橋蔵昼の部の「濡れつばめ」(川口松太郎作・演出)三幕皮切りに夜の部いれずみ判官三幕五場、「花の折鶴笠」四幕十場に出演。とくに「花の折鶴笠」は好評半年後に映画化映画より舞台先に発表され珍しい例と言える翌年第二回公演以降橋蔵座長と言ってもよいほど舞台中心に位置するうになる東映歌舞伎舞台出演橋蔵の舞台への郷愁呼び覚ましその後歌舞伎座橋蔵公演へとつながって行く。 1967年12月から大川橋蔵特別公演11年ぶりに歌舞伎座舞台復帰初日13代目仁左衛門17代目左衛門3代目左團次(当時男女)などが歌舞伎から多数出演した橋蔵舞台パンフレット初日の事について「第一回初日終えて一人化粧前に座ったとき、感激あふれる涙どうする事も出来なかった」と語っている。1968年12月歌舞伎座での『鏡獅子』では場内割れんばかりの拍手の嵐となり、かつて五郎劇団女形舞踊の上手さで頭角表していたが門閥の壁ゆえ果たせなかった夢を映画成功させ、一枚看板歌舞伎座超満員にした。演劇書を多数出版した戸板康二朝日新聞に「どんな時でも橋蔵本格歌舞伎舞踊を必ず演じてきた〜中略映画テレビの世界入って歌舞伎から巣立った事、六代目によって芸道初歩与えられたことを決し忘れまいとしている。今日の『鏡獅子』はかつて五郎劇団女形だった時の舞台感覚を少しも失っていない初々しい色気持っていた。」とコメントしている。

※この「舞台へ」の解説は、「大川橋蔵 (2代目)」の解説の一部です。
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