モンゴル帝国時代以降
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「パーディシャー」の記事における「モンゴル帝国時代以降」の解説
モンゴル帝国では行政言語はウイグル語が使用されていたが、初期からマー・ワラー・アンナフルやホラーサーンから多くのムスリムたちが宮廷内外で活躍しており、帝国統治下の地域的言語的多様性に対応出来るよう、モンゴル語、ウイグル語をはじめとするテュルク語、ペルシア語、漢語、チベット語などに行政用語の訳語の統一や互換性を持たせていたと考えられている。このうち、モンゴル語の「カアン」や「カン」に対応する概念として、イル・ハン国の『集史』などでは「カアン」をカーアーン( قاآن qā'ān)、「カン」をハーン( خان khān)と音写する一方で、 「君主」一般や「皇帝」「帝王」的な意味として「パードシャー」( پادشاه pādshāh)を採用していたようである。 『集史』「フランク史」ではアウグストゥス以来の歴代のローマ皇帝や、カール大帝などのフランク・ローマの君主たち、オットー1世以降の神聖ローマ皇帝などを「ルームのカイサル」(Qaysar-i Rūm)と併せて「ルームの君主位」( pādshāhī-yi Rūmī)などの表現が見られる。 また、明朝で編纂された漢語と周辺外国語の対訳語彙集である『華夷譯語』の一編でペルシア語版である「回回館譯語」という資料がある。この「人物門」に、を「パードシャー」 پادشاه pādshāh を「[立巴]得沙黒」と漢字音写し「君(君主)」の意味にあてており、同じく「シャー」 شاه shāh を「傻諕」と漢字音写し「君」の意味としているが、別の箇所では「パードシャー」 پادشاه pādshāh を「[立巴]得傻」と漢字音写し、「天皇帝」の意味としている箇所があり、この頃には「パードシャー」には一般的な「君主」の意味と「皇帝」の意味の2種類が含まれ用いられていたことが分かる。 イルハン朝のガザンはイスラームに改宗した後に、「イスラームの帝王(パードシャーヒ・イスラーム)」( پادشاه اسلام Pādshāh-i Islām)と名乗った。イルハン朝ではモンゴル王族一般を「シャーフザーダ」( شاهزاده Shāh-zāda)と呼び、ガザンなどの君主は単独では「ハーン」「スルターン」「パードシャー」を用いた。これらのペルシア語による称号の様式は、その後のジャライル朝、黒羊朝、白羊朝以外にもティムール朝、ムガル朝、サファヴィー朝、オスマン朝にも影響を及ぼしている。
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