モンゴル帝国時代以降とは? わかりやすく解説

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モンゴル帝国時代以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 01:42 UTC 版)

パーディシャー」の記事における「モンゴル帝国時代以降」の解説

モンゴル帝国では行政言語ウイグル語使用されていたが、初期からマー・ワラー・アンナフルホラーサーンから多くムスリムたちが宮廷内外活躍しており、帝国統治下の地域的言語的多様性に対応出来るよう、モンゴル語ウイグル語はじめとするテュルク語ペルシア語漢語チベット語などに行政用語の訳語統一互換性持たせていたと考えられている。このうちモンゴル語の「カアン」や「カン」に対応する概念として、イル・ハン国の『集史』などでは「カアン」をカーアーン( قاآن qā'ān)、「カン」をハーン( خان khān)と音写する一方で、 「君主一般や「皇帝」「帝王」的な意味として「パードシャー」( پادشاه pādshāh)を採用していたようである。 『集史』「フランク史」ではアウグストゥス以来歴代ローマ皇帝や、カール大帝などのフランク・ローマの君主たち、オットー1世以降神聖ローマ皇帝などを「ルームのカイサル」(Qaysar-i Rūm)と併せてルーム君主位」( pādshāhī-yi Rūmī)などの表現見られるまた、明朝編纂された漢語周辺外国語対訳語彙集である『華夷譯語』の一編ペルシア語版である「回回譯語」という資料がある。この「人物門」に、を「パードシャー」 پادشاه pādshāh を「[立巴]得沙黒」と漢字音写し「君(君主)」の意味にあてており、同じくシャー」 شاه shāh を「傻諕」と漢字音写し「君」の意味としているが、別の箇所では「パードシャー」 پادشاه pādshāh を「[立巴]得傻」と漢字音写し、「天皇帝」の意味としている箇所があり、この頃には「パードシャー」には一般的な君主の意味と「皇帝の意味2種類含まれ用いられていたことが分かるイルハン朝ガザンイスラーム改宗した後に、「イスラーム帝王(パードシャーヒ・イスラーム)」( پادشاه اسلام Pādshāh-i Islām)と名乗ったイルハン朝ではモンゴル王族一般を「シャーフザーダ」( شاهزاده Shāh-zāda)と呼びガザンなどの君主単独では「ハーン」「スルターン」「パードシャー」を用いた。これらのペルシア語による称号様式は、その後ジャライル朝黒羊朝白羊朝以外にもティムール朝ムガル朝サファヴィー朝オスマン朝にも影響及ぼしている。

※この「モンゴル帝国時代以降」の解説は、「パーディシャー」の解説の一部です。
「モンゴル帝国時代以降」を含む「パーディシャー」の記事については、「パーディシャー」の概要を参照ください。

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